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「本」と「ゆきのうえ」の のどかな日々

2003.3.23

 室生犀星「愛の詩集」。昭和36年、私が生まれる前の角川文庫。ここに収められている詩は感傷的にすぎて好きじゃない人もいるのかもしれないけれど、私は好きでした。感傷を表現するならば、このくらいストレートに気高くおこなうべきなのです。北原白秋の序文にも、思わず微笑んでしまう。
 気になるフレーズはたくさんあったけれど、いちばん最初に「序詩」として掲げられた一篇を、(ちょっと恥ずかしいけど)ここに書き記しておこう。
   自分は愛のあるところを目ざして行くだらう
   悩まされ駆り立てられても
   やはりその永久を指して進むだらう
   愛と土とを踏むことは喜ばしい
   愛あるところに
   昨日のごとく正しく私は歩むだらう。


2003.3.19

 久し振りにオキーフに触れたので、家にあった古いオキーフの画集を引っ張り出す。これは、ずっと昔、亡くなった祖母がアメリカ旅行で買ってきたものだ。この時オキーフはまだ生きていて、祖母は小学生か中学生だった私に絵を見せながら、「すごいでしょ、この人、もう100才すぎてるのよ」とひどく感激した様子で話してくれた。でも、100才すぎたおばあさんが、このような絵を描くということを、当時の私はうまく納得することができず、むしろ理解しがたいことだった。決して現代美術に興味のある人ではなかったけれど、祖母にとってオキーフとの出会いは何か非常にリアルに胸打たれる体験であったのだろう。だから、こんな大判の画集を抱えて帰ってきたのだ。そしてその体験が、30年近く経って再び、今の私をこの本に導いてくれた。
 この本にはオキーフのことばや文章がたくさん収められていて、どれも素敵なのだ。これらの文章を、しっとりした深みのある日本語に置き換えてくれる、もっともふさわしい翻訳家は誰か、頭のなかで探してみる。でも、いい人が思い浮かばないので、自分で訳して、しばらく遊んだ。


2003.3.18

 「オキーフの家」(メディアファクトリー)。この本は、画家オキーフの身の回りにあったものだけを集めている。写真はオキーフが晩年を過ごした二軒の家。文章は、オキーフの身の回りの世話をした人のものなのだが、オキーフについて直接書いているところはごく少なくて、ほとんどはオキーフの家を取り囲む自然についての描写だ。このような本が成立するのは、オキーフがオキーフであったからこそに違いない。私たち読者は、ページのすみずみを眺め渡して、そこにあの人の気配が少しでもないか、探してしまうのだ。
 シックでよい本だと思ったけれど、もちろんそんなおっとりした楽しみだけに満足できるわけはない。簡素だけれど居心地のよさそうなインテリアの細部を吟味したり、何気なく置かれた彫刻や本棚に並んだ本のタイトルを細かくチェックした下世話な読者は私だけでないことを信じる。


2003.3.15

 トーベ・ヤンソン「軽い手荷物の旅」(筑摩書房)。ムーミン以外のこの作家の作品を読んだの初めて。それに、私はムーミンの熱心な読者でもなかった。だから、特別の思いもなく読むこの本の中に、澄んだ水が静かに流れるような不思議な世界が広がっているのを発見して、とても驚いた。この本は短編集なのだが、ひとつひとつの作品がくっきりとした輪郭をもち、そして、やわらかくて深い色でていねいに塗り分けられていた。
 何となく、人間のよい部分だけしか見ようとしない作家というイメージを持っていたのだけれど、実際は正反対だった。人間の心の影の部分を細かく描写しながら、でも、どこかに人間にたいする深い信頼が感じられた。
 スウェーデン語のことは、もちろんまったく知らないが(トーベ・ヤンソンはフィンランドの人だがスウェーデン語で執筆していたと、訳者の解説にあった)たぶん、翻訳も、原作の持ち味を再現する、よい翻訳なのだと思う。


2003.3.3

 「ルーシー・モノストーンの真実」(角川書店)。帯の宣伝文句に「ルーシー・モノストーンとは何者か。‥‥その忘却のされ方は彼とほぼ同時代の作家ディレク・ハートフィールドにも共通のものだが‥‥」というくだりがあって、「ディレク・ハートフィールドって、村上春樹のあの「風の歌を聴け」に出てきた作家だよね? ええ? どういうことなんだろう」と、思わず買ってしまいました。うふふ、つまりすっかりダマされたわけです、大塚英志さんに。
 でも、結構おもしろかった。だまされたとかだまされないということが、じゃなくて、本の内容そのものが。ルーシー・モノストーンが生きた60年代アメリカが、うまく表現されていて楽しかった。


2003.3.1

 藤原マキ「私の絵日記」(学研M文庫)。亡くなった、つげ義春夫人の絵日記。夫人のことは、全然知らなかった。貧しいことにカンシャクを起こしたり、子どもの病気を心配したり、崇高でも潔癖でもない。それなのに、「にんげんのせいしん」からしか放たれないような深い光が、まぎれもなくここにあるというのは、どういうことだろう。
 巻末につげ義春へのインタビューがあって、それがよくある、今は死んでしまった人をほめ称えるようなものではなくって、ちょっとグチまじりだったりして、でも何か深い情が感じられて、よかった。こういうふうに日常を私小説のように語ったり描けたりする才能を持った人(つげ義春と藤原マキ)を、私はうらやましく思う。


2003.2.25

 金城一紀「対話篇」(講談社)。この本は、「装幀 著者」とあるが、真っ白な表紙にタイトルと著者名があるだけで、帯もつけずに書店に並んでいて、その大胆不敵さに、思わず買ってしまった。ま、こういうのを、まんまと罠にはまった、というのかもしれない。
 ストイックな表紙をめくると、ちょっと拍子抜けするような、素朴な水彩画のわすれな草。この絵の意味は、この本におさめられている三つの短編を読むとわかるのだが、この絵の持つ甘ったるさ(ぬるさ、と言ってもいいけれど)が、何か象徴的な感じがして、読後感は必ずしも良くはない。この作家のもっとも優れているところは会話の巧さなのではないかと、「GO」を思い返しつつ再確認するとしても。


2003.2.20

 中国づいたので「待ち暮らし」(早川書房)を読む。とは言っても、作者のハ・ジンという人は、アメリカ在住でこの小説も英語で書かれたもの。だから中国のものというよりアメリカの文学に属すると思うのだけれど、物語の舞台は中国だし、中国のテイストがこの作品をとても魅力的なものにしていると思う。
 主人公の男には愛人がいるのだが、妻は決して離婚に応じようとしない。そこでこの男と愛人は、別居が18年続けば相手の同意がなくても離婚できるという決まりに従って、ひたすら18年間待ち続ける。しかし本当の物語はそこから始まる。18年経って、一緒に暮らし始めたふたりの心に起こること。
 男も女も、繊細に描き分けられていて、悪くない味だった。でも「活きる」のあとだったから、ちょっとかすんでしまったかもね。


2003.2.17

 久し振りに骨太のストーリーを読んだと満足させてくれた「活きる」(角川書店)。余華という中国人作家の小説だ。作家の技巧がどうの、とか、文学的価値がどうの、といった論議ぬきに、「語り」の豊穣さに圧倒された。私たちは、「ものがたり」というものに生命力を与えられる存在なのだと、あらためて認識させられた。
 主人公の男が語る一代記なのだが、そこには、人が生きていくときに越えていかなければならない悲しみが無数に描かれている。でも、時代にかき回され、運命に翻弄され続けた波乱の自分の人生を振り返る老人は、ひたすら飄々として生きている。さっぱりとさわやかで、それで底知れぬほどにあたたかい。
 中国の小説を多く読んだわけではないけれど、中国から生まれてくる映画や小説には、独特の空間の広がりと時間の流れがあるという気がしてしまう。まあ、私のなかのこのイメージを支配しているのは、最近いくつか観たチャン・イーモウの映画かもしれないけれど。


2003.2.12

 キッチンの流しでマグカップを洗ったり、靴を履いて玄関のドアを開けたり、お店のレジでお財布から小銭を出したり、という、ほとんど無意識に近い日常の瞬間に、突然神経のものさしがものすごい速さで伸びたり縮んだりして、くらくらしてしまうことがある。毛穴ひとつひとつがホットケーキくらいの大きさに感じられたり、手にしているものがぐにゃりととけてぶよぶよのゼリーになったりするのだけれど、もちろんそういう「気がする」だけで、ほんとうはそんなことは「起こっていない」のだが、でも、「気がした」ということは、やはり確かに「起こったのだ」ということなのではないだろうか、と思って、そこでまた心臓がどきどきしてしまう。こういう瞬間を言い表すのはとても難しいのだが、どうにかして何らかの形で表現して自分でその正体を確かめてみたいという欲求も常にある。ところが、絵画や映画や小説のなかにこれと同じ感覚を見出すことがしばしばあり、そんな時は、わけもなく興奮させられるのだ。
 この「ボディ・アーティスト」(新潮社)は、そんな小説のひとつだった。「そうか、こういう方法があったのか」と思わず呟いてしまったのだけれど、とは言っても、その手法は、あっけにとられるほどシンプルで正攻法で、でも、このうえなく巧みなのだ。夫に突然自殺された女性の話、というと、何だか、かつて読んだことのある小説のような気がしてしまうが、実際は、唯一無比の一篇。
 「アンダー・ワールド」がすごくいい、という話をしばしば耳にしながら、私がまったくうといジャンルのひとつである野球がモチーフになっているらしいので、手にとりかねていたドン・デリーロという作家。新作が出たというので「こちらなら読めるのではないか」と思わず買ってしまったのだが、私にしては正しい選択だった。帯の推薦文は、柴田元幸と浅田彰というふたりで文句ないのだが、最強すぎて、かえって少し疑いを招くような気もする。


 


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