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「本」と「ゆきのうえ」の のどかな日々

2003.6.6

 葛西善蔵は、いくつかの作品をアンソロジーなどで読んでとても感心した経験があるが、まとめて読むのは初めて。私小説中の私小説。私小説を嫌いなわけではないけれど、読むときに、情けない男のウジウジにつきあっている、という感じが心のどこかにあるのは確かだ。でも読んでみたら、おもしろいこと、おもしろいこと。全3巻の全集の1冊を手にしただけだが、夢中になってしまった。
 でも葛西のおもしろさをあえて脇において、ここに私が書き留めておきたいのは、津軽書房というところから出ている(葛西は、太宰と同じで、もともとは津軽の出身なのだ)この本の作りのよさだ。とは言っても何も特別なことはしていなくて、ごくオーソドックスな形なのだ。スタイルとしての「オーソドックス」を選びました、ではなくて、ただ当たり前のこととして誠実に本を作ったら必然の結果としてこうなりました、という気負いのなさが、本の存在全体から伝わってくる。
 本自体の厚みに似合うだけの堅牢さがあって、クロスの表紙が手に温かく馴染む。版型は、天地を少し縮めて正方形に近づけてあるのだが、このことによって、本を開いたときの左右への重力のかかり具合と本自体の重さのバランスが非常によくなっている。ページはしっかりと気持ちよく開くし、文字の形や大きさや組み方も申し分ない。
 地方の小さな出版社が、すうっとこのような本を作り得てしまう時代があったのだなあと、思わずため息をついた。これを「文化」と呼ばずして、何を「文化」と呼ぶのだろう。(表紙は無地なので、写真は扉ページ)


2003.5.30

 ルナールの「博物誌」は、ときどき何気なく開いてみる本のひとつである。持っているのは古い岩波文庫だが、どちらの翻訳も悪くない(原文を知っているわけではないので、あくまでイメージだけれど)。私のなかでは、ルナールっていうより、ルナアルっていうのがしっくりくるんだけれど(確か同じ岩波文庫の「にんじん」はルナアルだったような気がする)。
 「生きものたちのささやき」(朔北社)というこの本は、本屋で何気なく見かけたのだけれど、「博物誌」の抄訳に、南塚直子の銅版画を合わせたもの。南塚作品は、好き。何と言ったって「うさぎのくれたバレエシューズ」という大傑作もあるし。


2003.5.14

 吉岡実の詩が私の心のなかで占めている場所は、私が年をとっても、ずっと変わらないような気がする。古本屋で見つけた昭和59年初版のこの本、中央公論の「現代の詩人」というシリーズの第1巻だ。品のある装幀やていねいな注釈にも好感を持ったが、これを買う決め手になったのは、巻末に金井美恵子の「吉岡実とあう――人・語・物――」という文章があったから。これはおもに、編集者としての吉岡実について書いてあった。この十数ページのために、900円は悪くない買い物だったと思うのだけれど。


2003.5.10

 「石のたんじょうび」(たくさんのふしぎ 福音館書店)。「石本」としては、今まで出会ったなかでベスト・スリーに入ると思う。石集めの醍醐味を、子供向けにていねいに説明した文章もなかなかいい。写真はあまり上手ではないけれど、それがかえって、石によけいな存在感を付け加えずにいて好感をもった。もしこれがプロの撮った出来のいい写真だったら、この本の石は、みんな「美しいもの」になってしまったような気がする。私の感覚では、石は「もの」ではないのだ。かと言って「生き物」でもないし、もっと抽象的な何かなのだ。
 この本には、石と出会う7つのコツが書いてあるのだが、ためになりそう(石集めのときにも、ふだんの生活の上でも)なのでちょっと長いけれど書き出しておこう。
  1 石を入れるためのポケットか、袋か、ナップザックを、いつも空にしておくこと。
  2 きっとなにかすてきなものが見つかるぞ、と期待すること。そうすれば、たいていそのとおりになる。
  3 あまりちまなこになってさがさないこと。地面に目をやりながら、ただぶらぶら歩きまわる。なにがあってもいいぞ、っていう気分で。
  4 ひとつの場所からたくさんの石をとらないこと、ぜったいに。
  5 見たときに心からいいなあと感じた石だけを集めること。
  6 ほかの人が見つけた石を、うらやましがらないこと。きみが見つける石だけが、きみの友だちになるのだから。
  7 ずっととっておきたいなあ、と思うようなものを見つけたら、ありがとうと思うこと。


2003.5.8

 しりあがり寿「瀕死のエッセイスト」(ソフトマジック)。読んで「おおっ」と思ってびっくりした。おもしろい漫画を読んだ時に必ず思うのは、対象(あるいはテーマ)との距離の取り方が巧みだということだ。それを直接的に描きつつ、どこかにそれを俯瞰している視点を匂わせたり、俯瞰に俯瞰を重ね合わせることによって、びゅんと接近したり、というように視点のずらし方が自由自在なのだ。いや、視点をずらすことによってのみ作品を成立させている、というべきか。こういうのを読んでしまうと、シュールレアリスムとかが、何となくつまらなく思えてくる。
 だけど一度目読んでおもしろかったから、と思ってもう一度読むと、ちょっと肩すかしを食うことも多い。それが私の漫画にたいする最大の不満だけれど、まあ、「漫画読み」として未熟な私じしんに責任があるのだろう。


2003.2.23

 いつか読もうと思いながら、しばらく本棚に横たわっていた蓮実重彦「映画狂人日記」(河出書房新社)を手に取る。話題が微妙に古い(かと言って、振り返ってみるほど遠くもない)せいなのか、いまひとつ楽しめない。いつもの皮肉にも少々キレが足らず、「狂人日記」を標榜するにしては狂い方が足りないんじゃないかと、思ってしまう。最後に置かれた、淀川長治への追悼文は心にしみた。


2003.4.20

 「乱読すれど乱心せず ヤスケンがえらぶ名作50選」(春風社)。安原顕の遺作というのか、追悼本というのか、亡き安原顕にたいする尊敬と愛情のこもった本。癌であることを自ら告白した「bk1」の日記を時々のぞいていたし、かつてマリ・クレールも熱心に読んだクチだし、いろいろ感慨もあるけれど、そんな事はさておいたとして、安原顕がいわゆる日本文学の名作を評したものって、考えてみれば意外と少ないような気がして、読んでとても勉強になりました。それに、文字がとてもていねいに組まれた、綺麗に作られた本でした。
 しょっぱなに「よほどの暇人ならいざ知らず、昔読んだ本を再読する人間は、あまりいないのではないか」とある。私なんか読書量のなかで再読の占める割合がぐんと高いだけでなく、人生そのものを、かつて読んだストーリーを再びなぞっているだけのように感じてしまうことがしょっちゅうなので、このように言われてしまうと、ちょっと落ち込む。


2003.4.15

 あまり人に言ったことはないけれど、実は金魚好きなので、本屋さんで見かけた瞬間に買うことを決めた「きんぎょ」(ピエ・ブックス)。3800円という値段にも躊躇はなかった。こんな本を待っていたんだよ。
  載っている金魚も、金魚の図柄のやきものも、どれも高級そう。これだけたくさん金魚が集まっていて、しかもどのページも、5分以上の凝視に耐えられるだけのものを持っていて、うーん、ますます味わい深い。本の開きが悪いのが唯一の難点かな。この本を作っている間、この無類の金魚好きは、どんなにか幸せだったろうと、著者のことを想像して、ちょっとうらやましくなった。


2003.4.11

 実は初めての山本周五郎、「青べか物語」(新潮文庫)。この世には、読んでいない本が本当にたくさんある。年をとって歩けなくなったり、耳が遠くなったりするのは構わないから、本を読むことのできる視力だけは取り去らないでほしい、と、ときどき本気で神様にお願いしたりする。
 で、山本周五郎。ああ、おもしろかった、というのが感想。こんなに評価が高い理由を、今にしてやっと理解したのでした。
 ここに描かれているのは、確かに人間で、どの人物もいきいきと「人間」をやっている。でも、もっと私を惹きつけたのは、どのページにも、匂いがあり、気配があり、風が吹いている、ということだ。小説世界全体が、気で満たされている感じ、とでも言えばいいのか。
 巻末の解説は平野謙で、久し振りに平野の文章に出会ったのも、何だかちょっと嬉しかった。


2003.4.2

 数学者、岡潔の評伝「天上の歌」(新泉社)。さぞ岡潔のぶっとび具合に触れられるかと期待して読んだのだが、案外まともで、ちょっと期待はずれ。評伝としては、よくまとまっていて、彼の生涯を概観するにはよい本だけれど。この本で、いちばん良かったのは、犬と一緒にジャンプする岡潔の、表紙の写真かな。いや、そんなこと言っちゃいけないか。


 


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