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「本」と「ゆきのうえ」の のどかな日々
2002.2.25

 上野千鶴子がフェミニズムの最前線で活躍する4人の女性と対談した本、「ラディカルに語れば…」(平凡社)を読む。とても刺激的でおもしろかった。私は今までフェミニズムというものは、社会へのリフレクションもしくはリアクションでしかなくて、それゆえに普遍性が獲得しにくいのではないかと思いこんでいたが、それは私の無知ということがよくわかった。フェミニズムのおもしろさは、それまで自明の領域だった事柄が次の瞬間覆される、その覆され方が、非常に明瞭な形で、現象として現れることだ。自明の領域が絶えず移動していくそのダイナミズムに、すっかり魅せられてしまった。近いうちに竹村和子を読もう。


2002.2.20

 「性の倫理学」(朝日新聞社)。伏見憲明が聞き手になって、「性」にかかわる仕事や運動をしている人たちにインタビューする。2000年の6月に出た本なのだが(雑誌に連載されたのは1999年)、遠い昔の出来事のようにさえ感じられる援助交際がリアルタイムな問題として話題にのぼったりしていて、性にまつわる状況は、ものすごい速度で変化していることを思い知る。
 伏見憲明が誠実な聞き手に徹している点が好感を誘うものの、全体的な物足りなさを生んでいる。宮台真司と上野千鶴子のみ、かろうじて密度を保っている。次は上野千鶴子を読もう。


2002.2.15

 江國香織「神様のボート」(新潮社)。とても特殊な小説だった。評価する人とけなす人とまっぷたつに分かれるような。本のずっと後ろの方に行くまで、物語はほとんど動かない。ただ、それとわからないくらいにゆっくりと弦が張りつめていかれるだけ。でも、この小説を成し遂げたことは、この作家にとってとても有効なステップになったのではないか、そんなことを思った。


2002.2.13

 たぶん、新潮社のクレストブックスのシリーズの影響だと思うのだが、最近フランス装の本がはやっているような気がする。でも、表紙がやたらに固かったりして、「もう、かっこうばっかりなんだから!」と苛立たしく思うことも少なくない。
 デュラス作品のなかでもお気に入りのひとつ「モデラート・カンタービレ」を近所の古本屋で見つけて、久しぶりに読み返してみようと買って読み始めた。そうしたら、ビニールのカバーはついているものの、フランス装のこの本の背はこのうえなくしなやかにしなり、表紙もしっとりと柔らかく、しかも手に温かい。ページの余白の取り方も上品だ。買う時には造本のことなんて気にもしなかったのに、そんなことへの喜びで心が躍ってしまって、内容がちっとも頭に入ってこないほどだ。初版が1977年の「河出海外小説選」というシリーズの一冊。確かめてみたら装幀は平野甲賀だった。
 うーん、でも、これ100円だったんだよね。複雑な気分。


2002.2.10

 しばらく前に読んだ「月の家族」が何となく心にひっかかっていたので、古本屋で見つけた島尾伸三の「季節風」(みすず書房)を手にとる。そしたら、あの本で巧妙に避けて書かれていたさまざまなことがちゃんと書かれていて、何だか安心した。不幸な気持ちだけが照らし出すことのできる、ある独特の人生の輪郭。半月を見て、光っている方ではなく、影になっている側のほうに思いをはせる気持ち。「月の光」とポジとネガの関係にあるようなこの本だが、私にとってはこちらの方が親しく感じる。


2002.2.6

 ニコラス・レイ「わたしは邪魔された」(みすず書房)。書店で値段を見ずにレジに持っていって6300円と言われた時は少々焦ったけれど、読めば読むほど今年出会う本のベストワンになりそうな本であった。「蓮実重彦氏、推薦!」なんていう帯の宣伝文句は、瞬時に吹っ飛ぶ。
 他人に感銘を与える内省というのは、そうでない内省とどこが違うのだろうか? 内省的であることと、その人がドラッグとアルコールと癌のせいで死にかけている偉大なる映画監督であることに、どういう関係があるのだろうか?
 多分、これから何度となくこの本を開くことにことになるだろう。どのページを開いても心に滲みてくる言葉であふれている。愛情と知性と混乱と理性が見事にそのままの形で表れている、未亡人の文章も良い。本に出会えた自分を幸福に思うよりも、本そのものが幸福であるように感じる。本に、少しだけ、嫉妬する。


2002.2.4

 滝本誠「きれいな猟奇」(平凡社)。こちらも出たばかりの本。リンチ、トマス・ハリス、ジム・トンプスン、それから、ブレイクやフランシス・ベイコン、バロウズ、チャールズ・マンソンも。このお正月に映画「セブン」を興味深く観た(私は何でも常に3周遅れ)こともあって、いろいろな話題がリアルだった。アメリカの病理と片づけるのはたやすいけれど‥‥。私たちを取り巻くイマージュとリアルライフ、双方の残酷さと猟奇性が反転し続ける、という意味で、映画的な読書体験だったとも言える。鬼畜系は嫌いじゃないんだけど、でもやっぱりちょっと気持ちが暗くなっちゃうな。


2002.2.3

 新刊書店で新刊図書を買い求めることは案外少ないのだが、端正でありながら暖かみを感じる装幀(by 中島かほる)が手に心地よかったこともあって、堀江敏幸の最新作「ゼラニウム」(朝日新聞社)を買って読んだ。なかなか良い。ほんのり幸せになる。何人かの女を描いた短編連作集として、中上健次「水の女」、村上龍「トパーズ」と一緒に並べてあげよう。


2002.2.1

 そこに本があったので「海と毒薬」(遠藤周作 新潮文庫)を読んだ。日本がまだ「戦後」だった頃の話。そう言えば日本人は昔はこんなふうにまじめだったんだ、と思ってしまってから、複雑な気分になる。日本人は(人類は、と言うべきか)遠くに来てしまったのだなあと感慨を抱きながら、そんなふうに感じる自分が落ち着かない。


2002.1.30

 「火星ルンバ」(吉田戦車 ちくま文庫)。ときどきアイロニーに堕ちてしまうけれど、そうでなければカフカより高尚、百けんより冷静。とてもおもしろかった。告白するが、吉田戦車を読んだのは初めて。念願だった。ちくま文庫で読んでしまうのが、何とも似非で我ながら情けないが。


2002.1.28

 「物質と記憶」(松浦寿輝 思潮社)。この本の最初には吉田健一についての文章が何篇かおさめられていているのだが、その文体が吉田健一へのオマージュとして選ばれたのか、ただひたすらに憧れる気持ちが筆者にそれを選ばせてしまったのか、どちらにしてもうまく自分を納得させることができないような気持ちで読み進み、吉田健一の文章そのものがもたらすなまなましい感動をなまなましく追体験させてくれないことへのいらだちを感じながらもなお、何かささいな手違いゆえに失われてしまったけれど、本来必ずそこにあるはずの柔らかい手触りを激しく求めてしまうような自分を持てあましたまま、最後のページまでたどり着いてしまう。川端康成論や北村太郎論の方が、かえってストレートに胸に響いてくる。


2002.1.27

 「イディッシュの民話」(青土社)。イディッシュの人たちの間に伝わる昔話や寓話が200篇近く収められている。ぱらぱらとあちこち開いて拾い読みする。1ページにも満たない短いお話もたくさんあるが、どれもそれぞれ1冊の絵本を読むような広がりを持っていて飽きない。イディッシュの人たちについては、村上春樹の翻訳した「最後の瞬間のすごく大きな変化」という短編集に描かれていたイメージが強烈で、それを思い出しながら読んでいた。


 


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