■2004.2.13

生田紗代「オアシス」。若い女性作家の本を続けて読むのだ。これは、家事どころか、食べることや寝ること以外、一切何もしようとしない母親と、その母の面倒をみる姉妹のお話。当然ながら、父は不在。こういった、いろんなものが欠けていて、それをお互いに補いながら成立している家族の形は、吉本ばなな以来の定番のひとつになっているような気がする。
でも、かといってこの小説がありきたりで退屈だったかというと、そんなことはなくって、何よりも文章が軽快に動いていて、その動きに身をゆだねるのが楽しかった。
■2004.2.12

島本理生「生まれる森」。表紙のゾーヴァの絵がいい。
文体の間を、風が通り抜ける。その風が、色や香りや湿り気を運んでくる。充分な熟練をそなえていながら、心のうちからストレートに投げ出されたもののように、言葉を置いてみせる。クセとかアクといった言葉からは無縁の率直さを漂わせながら。
■2004.2.11

金原ひとみ「蛇にピアス」。題材は刺激的だけれど、特に「蹴りたい背中」を読んだ後では、古典的な小説の形を受け継いでいる正統派に思える。村上龍や中上健次の後継というイメージかな?
ところで表紙にはイラストの一部として「Snakes and Earrings」という文字があるのだが、「earrings」というのがどうもひっかかる。ボディーピアスの話が出てくるこの小説では「ピアス」の訳として「イヤリング」というのは、どうしたってそぐわないし、たしか英語では「イヤリング」を「earrings」とは呼ばなかったと思う。それとも何か別の深い理由でもあるのか、と考えてしまう。
第一、こんなにたくさんの人がこの本を手にしているのに、このことが全然話題にのぼらないのが不思議。それとも私が知らないだけ?
■2004.2.10

綿矢りさ「蹴りたい背中」。「さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。細長く、細長く。紙を裂く耳障りな音は、孤独の音を消してくれる。気怠げに見せてくれたりもするしね」。この書き出しは、最近の小説のなかでも、特別によい。
恋とか友情とか、名づけることさえためらわせるような感情の交錯を、淡く淡く描く。そして、そこからくっきりとした孤独の姿が立ち上る。
細く透明な線で、一瞬一瞬の空気のかたちをデッサンしながら、それが完結し たときに、まぎれもない「小説」というパワーを持つ不思議。
■2004.2.5

映画化されたというので、本屋さんに並んでいた「ジョゼと虎と魚たち」。田辺聖子なんて久し振りに見る名前、という感慨のままに、買ってみた。恋したり失恋したりしながらも、けなげに生きる女性たちが描かれた短編集。登場する人みんなが関西弁をしゃべっているせいか、ちょっとした恋の気配にどきどきすることから遠ざかっているせいか、すぐには感情移入できないのだが、でも、楽しかった。
この作家は、「強く生きていく」ということに関して、すごく大らかな、でも絶対的な肯定感を持っている。そのことに、何だかちょっと励まされるような気持ちがした。
■2004.2.1

「百年の孤独」(新潮社)。ふと読みたいと思って本屋さんを探した。当然のように文庫本の棚を探したけれど見つからない。「予告された殺人の記録」はあるのに。調べてもらったら、不思議なことに文庫化されていないのだ。家の近くの書店からスタートして、4軒目でやっと見つけた。見つけたときは、「偉い!」と思わずその本屋さんを誉めたくなった。この本が、ここで私に買われるのを待っていた月日は短くはないようで、カバーが傷んでいたけれど、でもいい、許す。いったい今まで何人の人が手にとって、そして棚に戻したのだろう。
薄暗いロビーで、人を待ちながら読んだ。ふと気づいたら3時間以上経っていた。でも、この小説のなかに流れる壮大な時間を思えば、3時間なんて、またたきするほどの間でもない。