■2004.8.30

本屋さんで何度も手にとったり棚に戻したりして、買おうかどうかさんざん迷って、でもやっぱり5800円という値段に怖じ気づいて買えなかった「ひとりよがりのものさし」(新潮社)という本。知り合いが、突然向こうから貸してくれた。なんという幸運。
ていねいに心をかけた、このうえなく品よく美しい本で、まあ、当代きっての目利きといわれている著者が装幀に関わっているということなので、私なんかが口を挟む余地があるわけがない。
古今東西の骨董を一点ずつ取り上げて、骨董屋の主人である著者の坂田和實が語る。その文章には、骨董を語るときによく見られるような権威主義的なところがまったくないのが、この本をオリジナルなものにしている。
■2004.8.27

「本の愉しみ、書棚の悩み」(草思社)。著者はアン・ファディマンという人で、アメリカでエッセイや編集の仕事をしているらしい。本にまつわるいろいろなこと、例えば、本の収納場所について、本に書き込みをすることについて、引用や剽窃について、古書蒐集について、などなどのエッセイを集めた本である。
ファディマンは、ふたり合わせて蔵書が7000冊という無類の本好きの両親に生まれた、言わば「本好き」のエリートというか純血種なので、自分と比べるのもはばかられるが、この本で語られる日常生活や幼い頃の思い出を読むと、ひとくちに「本好き」と言っても、そのバックグラウンドは、本当にいろいろなのだな、と思わされる。
幼い頃に触れる本も、家の中が本であふれるその空間の感覚も、何もかもが違う。それは、個人の差、家庭の差ばかりではないだろう。彼女や私が生きたこの30年間を比べたって、アメリカと日本では、本の持つ文化の有りようが、まったく違うのだ。
■2004.8.25

ネットの古本屋さんとか、ブックカフェを経営することが流行りらしいというのはわかっていても、雑誌の特集なんかでそれらの経営者に「本屋さんになることは自己表現だ」と正面きって言われると、仕事というものはすべからく自己表現であろうし、人間関係とか金銭とか「自己」の「表現」ではどうしようもないことことこそが、この「自己」を豊かにしてくれるのかもしれない、というような想像力も持たないあなたの「表現」したい「自己」とは一体何なのかとムキになって言い返したくなる。……と、金井美恵子を読んだ後は、しばらく思考の文体がこうなってしまう。自分という存在の薄さをしみじみと感じる。
まあ、そういったことなどがちらちらと頭をかすめたものの、「本屋さんになる!」(メタローグ)というこの本自体は、本や本屋さんへのていねいな気持ちのこもったインタビューがおもしろかったし、勉強になりました。
■2004.8.22

「待つこと、忘れること」を読みながら、次は吉田健一の「饗宴」を読むぞ、とずっと思っていた。「舌鼓ところどころ」は、ずいぶん昔の中公文庫。白井晟一の表紙がいいね。「食べものあれこれ」「舌鼓ところどころ」「饗宴」の三篇から成っているのだけれど、私はやっぱり「饗宴」が好き。どんどん、どんどん、果てしなく果てしなく食べ続ける感じが、官能を満たしてくれる。
■2004.8.20

「目白雑録」の興奮忘れがたく、ずっと前に買ってそのままになっていた金井美恵子の「待つこと、忘れること」(平凡社)を取り出して読む。
こちらは食べ物のこととか、猫のこととか、暮らしのこととが中心。金井久美子の絵やコラージュもたくさんあって、華やかなつくり。食べることや暮らすことに関して、あまり趣味のよくない無粋な私も、お清めされるような文章だ。
電車で読んでいて、降りる駅が来てもやめられなくて、歩きながらずっと読んでいた。歩きながら本を読むのって久しぶり。昔は、そういう小学生が時々いたけれど、最近は見かけないなあ。
■2004.8.17

「電信柱と妙な男」(架空社)。絵本カーニバルでの収穫のひとつ。物語は小川未明で、絵は、石井聖岳。「妙な男」と「電信柱」が、一緒に夜の散歩をするという、最高にポップな物語。絵もすごく合っていて、新刊の絵本でこんなにハッピーになれたのは久し振りだと思う。
優等生的な絵本には目もくれず、ひょうひょうと、自分の絵本を作り続ける架空社には、いつも感謝の気持ちが湧いてくるのです。
■2004.8.5

「ヴァージニア・リー・バートン 『ちいさいおうち』の作者の素顔」。「ちいさいおうち」や「いたずらきかんしゃ ちゅうちゅう」のヴァージニア・リー・バートンの、ヴィジュアルつき評伝。文章はちょっと硬いけれど、生前の写真や、彼女のスケッチブックにのこされていた初期の絵などを見ることができて楽しい。今まで知らなかった挿絵作品や、テキスタイルデザインなども収められている。ヴァージニア・リー・バートンのずば抜けたデザイン感覚や、一枚の絵のなかにたくさんの物語をこめる、その才能を再認識する。
■2004.8.1

漱石の「二百十日」を読む。私が漱石の小説に感じるのは、包容力だ。くだらない遊びをさんざんしたあと帰ってきた私を、いつでも受け止めてくれる。その時の私がどんな身なりであろうと、どんな精神状態であろうと、ちゃんと迎えてくれるのだ。