■2005.4.27

伊丹十三「ヨーロッパ退屈日記」(新潮文庫)。この本の前に、文庫化された糸井重里の「言いまつがい」を買って、何度も吹き出しながら読んでいたのだが、その中に「ジャガー問題」というのがあった。車のジャガーを「ジャグワァ」と
発音する人がいる、故・伊丹十三さんもそうだったらしい、という話。私も「ジャガー」は「ジャグワァ」と発音すべきだと思っていた。「JAGUAR」という車は常に「JAGUAR」でなくてはならない、という場面で乗られる車だから、やっぱり「ジャガー」なんて、間の抜けたニホンゴじゃダメなのだ。(でも、広告では、普通に「お問い合わせはジャガー・ジャパンへ」と書いてあった気がする)
で、この「ヨーロッパ退屈日記」を読んでたら、「ジャギュア」と書いてあった。伊丹十三がイギリスで暮らしていたとき、ジャギュアを注文した話がさらりと紹介されるのだ。
この本は最初に出たのが1965年、伊丹が31才でデザイナーから俳優へ転身したばかりの頃。グレープフルーツと聞いても知らない人が多かった、そんな時代のエッセイに、アル・デンテとかカッペリーニとか、エルメスのバッグやシャルル・ジョルダンの靴が出てくる。この人は、40年早かったのだ。
伊丹十三が自殺したと報じられたとき、とても意外な気がしたのだが、この本を読んで、案外伊丹らしい死に方だったのではないかと思えてきた(こういう感想は不謹慎だろうか)。筋金入りのエピキュリアンは、人生のごく最初に虚無を見てしまった日から、ずっと、退屈という海の底を泳いでいたのかもしれない。
■2005.4.21

中公文庫から「幻の限定復刊」と題して、今まで手に入りにくかったタイトルが出されて、マニアックな本好きを喜ばせているらしい。と他人事のように書いたが、私も、この伊藤整「女性に関する十二章」と柳宗悦「蒐集物語」を見つけて条件反射的に買ってしまった。でも、「女性に関する十二章」が本体1286円、「蒐集物語」は1429円で、単純に厚さから見てもかなりお高めで、少し不機嫌。復刊に際して、伊藤整には酒井順子、蒐集物語には川上弘美、それぞれの書き下ろしエッセイが収められていて、人気作家による貴重なオマケなのだからありがたく頂戴しなくてはいけないのかもしれないが、酒井順子も川上弘美も、その本にも作家にも、特別な思い入れも知識もなく、何だかとまどいつつ書いているのがうかがえて、かえって興ざめ。せめて伊藤整には斉藤美奈子、蒐集物語には平松洋子とかが、よかったのに。
でも、花森安治の装幀は、やっぱりかわいい。
■2005.04.15

中原昌也「エーガ界に捧ぐ」(扶桑社)。週刊誌に連載されていた映画評をまとめたもの。半分くらいは、お金がないとか、配給会社が試写会の招待状をくれないとか、そんな話なのだが、読んでいると、この人の内面がどっと私の中に入ってきて、だから私にとって、この本は純文学なのであった。賛成してくれる人は少ないだろうし、何より、本人にはうんと嫌がられると思うけど。
■2005.4.13

「犬猫 36歳・女性・映画監督が出来るまで」(フリースタイル)は、井口奈己という新人監督の本。はじめて自主制作で作った映画が評判になり、35ミリで撮り直してデビューしたという。その映画が「犬猫」なんだけれど、私はこの映画のことを全然知らなかったのだけれど、この本を読んだら、絶対に誰でも見たくなる。でも、東京での公開はもう終わっているらしい。でも、まだまだ現在進行形で評判が評判を呼んでいるようなので、もう一度、どこかでやりそうな気もする。
本の内容のほうは、撮影のことや、最初の8ミリ版が公開されることになって、一生懸命自ら宣伝したことや、それからデビューまであれよあれよと話が転がっていく過程が、ほのぼのとした調子で書かれている。デビューにまつわるエピソードが、やっぱりドラマティックなのだけれど、私がおもしろかったのは、最初に映画を作っているときのこと。仲間とワイワイやりながら手作りでものを作っていく楽しさが、あふれていた。伝わってくるのは、映画へのさわやかな愛、なのでした。
■2005.4.10

今さらながら、なのだけれど最近カトリーヌ・ドヌーヴのファン。DVDで彼女の映画をよく観ている。出演作は100本にのぼるというから、まだまだ当分楽しめそう。
ドヌーヴの美しさはあまりにも整いすぎていて個性がないように思えたり、特別に演技が上手とは思えなかったりで、今まで特に魅力を感じなかったのだが、彼女が宿しているエレガンスというものが、映画そのものが持っている優雅さとひどく似通っていることに気づいたとき、非常に稀有な女優なんだということがやっとわかったのだ。
「ドヌーヴ、いいよね」と独り言を言っていたら、彼女のインタビューを収めた小冊子「ネーム:ドヌーヴ 職業:映画監督」(nobody編集部)をもらった。ドヌーヴ、最高にかっこいい。自分にとって「正しさ」というのが大切なのだ、と語る彼女と、映画のなかの彼女は、ぴたりと重なる。それから、エミネムも、ユマ・サーマンも好きなんだって。
とにかく「映画」というものを、よく知っていると思った。50年間も映画に出続けているのだから当たり前と言えば当たり前なのだが、日本の女優で、こういうふうに映画を(お世話になった監督の話とか、自分が若くて美しかったころの思い出話などではなく、映画そのものを)語れる人がいるだろうか、と考えてしまう。
■2005.4.5

ルーシー・リーの展覧会に行ったのは確か2年くらい前だった。やきものにたいするイメージをひっくり返されるくらい、斬新で美しい作品が並んでいた。繊細でモダンで、でも、土の持つ有機的な存在感もある。
陶芸家としてのキャリアがボタンからスタートしたというのも、意外でおもしろかった。そのときから、私は、ことあるごとにボタンの存在が気になってしまう。
作品の魅力が忘れられず、しばらく経って大型の作品集も買い、今でもときどきページを開く。この「ルーシー・リーの陶磁器たち」(ブルース・インターアクションズ)は、もう少しハンディなタイプで、作品の写真や彼女の生涯についてまとめた文章のほかに、生前親交のあった人たちが寄せた文章、またアトリエでのスナップなどがあって、ルーシー・リーという作家を少し斜めから照らし出すような本になっている。彼女への親近感は増したが、形とか色に関してこんなにも鋭い感受性を持った人が見ていた世界がどんなふうだったのかをリアルに想像することは、私にはできていないような気がするのも事実だ。
内容はおもしろかったけど、本のデザインや造本のイメージから受ける印象は、私がルーシー・リーの作品に持っているそれとだいぶ食い違っていたので、ちょっと残念。