■2006.1.30

「食うものは食われる夜」蜂飼耳
本の背が剥き出しというアクロバティックな造本なのに、しっくりと収まっていて、さすが菊地信義などと思いながら読み進むと、なんと、リズミカルな詩集。木琴のような、雨粒がトタン屋根に当たるような、そんなはじけた音のリズムが聞こえてくる。こんなにも耳で楽しませてくれる詩を書いたのは耳という名前の1974年生まれの詩人。でも、うたわれているのは、どこにも簡単には寄りかからない骨太な言葉。いまピカイチの詩人とみんな言ってる、という誰かの言葉を思い出し、深くうなずき、もう一度最初から読み始める。
■2006.1.28

「おじいさんがかぶをうえました」は、福音館の「こどものとも」50周年記念で出た総集編。代表的な作品や絵本作家たちが登場して、50年の歩みを振り返るというもの。
終わりの3分の1は、増刊号含め全603号分と、「年中向き」200号分の表紙が並んでいる。それを見て、ずっと身近にあったような気がしていた「こどものとも」だが、親が毎月買ってくれていたのは、わずか1年間半であったことを発見し驚いた。そして、その間に出会った号に関しては、表紙の絵の細部や、本から受けた印象を、とてもリアルに覚えているのにも驚いた。多分、何度も繰り返し見たのだろう。
見ながら、子どもの頃の思い出が数え切れないほどたくさんよみがえってきた。それは、夜に見た夢を思い出そうとしてみるような、感覚の世界をまさぐるような、不思議な体験だった。
■2006.1.20

本の最初から最後まで文字通り切れ目なく文章が続き、句点は最後の1ページにひとつあるだけという本を、ほとんど髪を逆立てながら、嬌声をあげながら読んだのは、もうずいぶん昔。そこに出てくる映画の大半が見たことないものだったし、ジェットコースターに乗せられたみたいに、周りの景色を楽しむ余裕など一切なく、ただただ身を任せるしかなかった。
映画狂人シリーズに、あの一冊が収められていると初めて知って、もう一度あのジェットコースターに乗りたくて買ってしまった。タイトルはもちろん、「映画狂人シネマの煽動装置」(河出書房新社)。自分の見た映画の本数は、期待したほどは増えていなくて、しかも、この本の中でたびたび嘆かれている映画をめぐる社会状況、ジャーナリズム状況の貧しさは、ほとんど毛の先ほども変わっていないようで、暗澹たる気持ちになる。でも、ジェットコースターも、ホラー映画も、2度目からが本当の楽しさなのだ。おおいに満足。
数年前、このシリーズの最後の1冊が出たときだったか、ある書店にずらっと平積みで並べられていたのをみて、「こんなに買えない、それに、こんなに読めない」と、いさぎよく一切の努力を放棄したのだが、ときどき魔が差してというか、はずみでというか、誘惑に耐えきれず、ちょこちょこ買ってしまい、気が付くと、もう何冊も本棚に並んでいる。ああ、恐ろしい。
■2006.1.18

「日本八景」(平凡社ライブラリー)。1928年に新聞社が当時の鉄道省の後援のもと、日本八景二十五勝と日本百景を決めるというイベントがあったらしく(「日本三景はもう古い」という気運のもと)、その時に選定された日本八景について、当時のスター作家たちが、紀行文を書くという企画本。当時は結構話題になったらしい。八景というのは、華厳滝、上高地、狩勝峠、室戸岬、木曽川、別府温泉、雲仙岳、十和田湖。当然かもしれないが、今、選んだら、もっと違うラインナップになるはず。日本人の風景にたいする考え、それから、自国の風土にたいする考えは、ずいぶん変わってきてるのだと思ってしまう。もしかしたらそういうことよりも、新幹線やら飛行機やら、交通のあり方が変わったことのほうが、要因として大きいのかもしれないけど。
でも、そんなことより、この本のすごいところは、執筆陣の豪華さ。華厳滝は露伴、狩勝峠は碧梧桐、室戸岬の花袋、木曽川の白秋、別府温泉の虚子、十和田湖の鏡花、など。ちなみに、解説によると、当時露伴が61才、白秋は43才だったそう。みんな、脂ののりきった世代。
同じ紀行文でも、それぞれの個性がはっきりと表れているのにびっくり。これは当然のことと受け取るべきなのかもしれないけど、やっぱり、さすがだなあ、とため息。「滝飛沫(しぶき)は冷ややかに領(えり)に落ちて衣袂(いべい)皆しめり、山風颯然として至って、滝のとどろき流れのたぎりと共に人をして夏のいずこにあるかを忘れしむるところ、捨て固い」なんて言う露伴もかっこいいし、息子を連れて木曽川の川下りをする白秋も優しくていいし、鏡花の描く十和田湖からは、今にも妖しくて美しい何かが湖面からぬうっとあらわれてきそう。
■2006.1.13

「ブックカフェものがたり 本とコーヒーのある店づくり」(幻戯書房)。
ブックカフェという言葉は、ずっと前からあるような、最近できたような不思議なことばだけど、この本を読んで、全国にこんなにたくさんのブックカフェがあると知って驚いた。ひとくちに言っても、カフェつきの本屋さんや、本のたくさん置いてある喫茶店やら、いろいろなのだが。
カフェのオーナーへのインタビューが、本のメインなのだが、いやはや大変だなあ、という感想を持たずにはいられない。本もコーヒーも好きという人は多いだろうから、両方にかかわれる仕事に憧れる人は少なくないだろうが(私も隅っこにいる)、そういう人たちに「世の中、甘くないよ」と警告している本、というふうにも受け取れるほど。ブックカフェが大変なのか、商売そのものが大変なのか、商売をしたことのない私にはわからない。でも、多くの人が、本の新しいあり方を心に描きつつ奮闘している様子には、心打たれるものがある。
■2006.1.4

「本の音」(晶文社)は、堀江敏幸の書評集。誰でもそうだろうが、雑誌などを見ていて彼の書評が載っていると、すごく得した気分になって、夢中で読んでしまう。だから、この本のなかにも、かつて何かで読んでくっきりとその印象が心に残っているのも、その書評をきっかけに読んだ本も、少なからずあった。でも、本当にまったく、堀江敏幸の書評の質の高さには、言葉を失う。読んでいると、ピンと感覚が立ってくるのと、心がゆったりとリラックスするのが同時に起こって、血の体のすみずみにまで流れていくような、不思議な高揚感が味わえるのだ。
本の内容に拮抗しつつ質を高めるのが書評だという意見もあるかもしれないが、取り上げられている本そのものよりも、その書評のほうがどう見ても格が上、というパターンを私は嫌いではない。堀江敏幸の書評に関しては、論じられているその本のことはさておき、文章から立ち上がってくるものをこそ注意深く眺めるのが正しい態度に思える。
こんなサイトを立ち上げて、ぐずぐずと、日々本のことを書いている身としては、少しでもここに近づこうと、虚しくも精進を誓わずにいられないのは、言うまでもない。