■2007.2.25

長谷川郁夫「藝文往来」(平凡社)
年末に読んだ『美酒と革嚢』がとてもおもしろかったので、迷わず買った一冊。あとがきに出版までの経緯が簡単に書いてあるのだが、2000年に小沢書店が倒れて、2002年に「彷書月刊」から小沢書店時代の思い出をと請われ、気ままな随想なら、と連載が始まった。その文章が中心になっている。
小沢書店は長谷川氏が学生時代に始めた。そして30年間続いた。長谷川はその結末を「(私が)潰した」と書く。そこには、自分を責め続けているような苦しさが感じられる。小沢書店時代の思い出が書けなかったのも、その最期があまりにも辛い体験で、のんびりパイプをくゆらしながら回想できるようなものじゃないということだ。それが、端々から感じられる。
長谷川氏の証言は、日本の出版史を語るうえで欠かせない貴重なものとなるだろう。10年後か、あるいは20年後か、いつか世に出ることを、やはり待つ気持ちになってしまう。
「他のいかなる分野とも異質な、文藝、そして出版という温もりのある世界の片隅にあったことの幸福を、いましみじみと思う」と、あとがきにあった。
■2007.2.23

斎藤美奈子「それってどうなの主義」(白水社)。
久し振りの斎藤美奈子。ツッコミのテンポも皮肉の切れ味も鈍ることなく、読んでて楽しい。「ここ10年間ほどの間に雑誌や新聞に書かれた文章」ということなのですが、「そういえばそんなことあったなー」的話題も。イラクの邦人人質事件とか。あとがきの最後は「こちら、あとがきのほうになります。以上でよろしかったでしょうか」とキチンと締められている。
出身地新潟の、新潟日報に連載していた文章もかなり載っていて、そちらのほうは、いつもと微妙に雰囲気が違っていて、どことなく普段着っぽいというか、素顔っぽいというか。そこらへんも、ちょっとおもしろい。
■2007.2.21

今頃になって、やっと読んだヨムヨム。天気のよい平日の昼下がり、住宅街をくねくね走るバスの、いちばん後ろの席でヨムヨム。あっちこっちパラパラめくってヨムヨム。川上さんはさすがだな、と思いながらヨムヨム。笑いをかみ殺しながら、角田さんの読書日記をヨムヨム。ヴォネガットなんて久し振りだなと思いながらヨムヨム。でも、何かが足りないヨムヨム。これでいいのか、ヨムヨム。あ、でも、次号は石井桃子特集と知って、また買ってしまいそうなヨムヨム。終点に着く頃は、ちょっとバス酔いゲロゲロ。
■2007.2.14

柴田尚美「おまめの豆本づくり」(白泉社)。
豆本の作り方の本なのだけれど、かわいらしい小さな本がいくつも並んでいる姿、そして、いくつものプロセスを経ながら、指先で少しずつ本が形になっていく姿を眺めているだけで、とても楽しくなってくる。ページをめくりながら、ワークショップに参加したときの、あたたかく楽しい気持ちが、手によみがえってくるのだ。
■2007.2.10

三崎亜記「となり町戦争」(集英社文庫)。
新しく出た「失われた町」の評判が高いようで気になるけど、まずは、文庫本から。となり町と戦争が起こるけれど、広報紙に戦死者の数が報告されるだけで、戦争らしいことは起こらない……という発想が、まず秀逸。でも、アンリアルなものの攻撃によってダメージを受けた主人公が、女性というリアルな対象と出会い、性愛を交わすことによって、生きる切実さのようなものを取り戻すという物語の流れは、どこか村上春樹を連想させた。羊三部作などでは、自分をスポイルする相手は、その正体が明かされないとしても、もっと実体が感じられ、また、その分主人公も肉体的に痛めつけられたりしたのだが、この「となり町戦争」では、違う。自分をスポイルしようとするその相手は透明で、あえて言うならば、私たちが生きるこの平凡な暮らしの在りようそのもの。だからこそ、冒険を乗り越えた主人公がたどり着く先は、自分自身もまた誰かをスポイルしているのではないかという疑念になってしまう。そういうふうに考えていくと、たんに村上春樹の影響を受けているというよりは、そこから一歩押し進めた作品と言えるのかもしれない。
■2007.2.5

何度か迷ったんだけれど、とうとう、長嶋有、柴崎友香らの同人誌「Melbourne1」を買う。限定1500部のうちの1487番だから、ぎりぎりセーフと言うべきか? 最後の決め手は、ゲスト執筆者に中原昌也が入っていたことだな、たぶん。
金の箔押しの上に手製のスタンプが押された表紙、大胆に三角形に切り取られたページを含む中綴じなど、豪華かと思うと質素、質素かと思うと豪華なつくりが、絶妙。
それぞれの作品もおもしろかったし、同人たちと穂村弘との対談も、麻雀の譬えがわからなかったものの、おもしろい発言が随所にあった。「いま」の時代に「ことば」を使うっていうのがどういうことなのか、というのを、ああでもない、こうでもない、と話しているんだけど、読んでるこちらも「ううむ」と腕組みしてしまう感じがあって、その、言葉がするする出てこない感じでもって、何かが伝わってくるという具合だった。
この同人たちは決してそういう顔をしないんだけれど、心に秘めた熱いものを、ちょっと垣間見てしまった気がしたよ。
■2007.2.2

桐野夏生「魂萌え!」(新潮文庫)
星野智幸のあとがきによると、桐野夏生は、自分の作品を「黒い作品」と「白い作品」に分けているそうだ。この作品は「白い」ほうで、そうとは知らず読み始めた私は、「もっと黒さを!」と心で念じながら読んでいた。さすがに読ませる力は圧倒的で上下2巻一瞬で一気読み。人間の中の悪意――ちょっとした虚栄心からどろどろの復讐心まで――を書かせたら、右に出る者はいないのだ。
これは要するに、自分の言葉を持たぬ女が言葉を獲得するまでの物語なのだが、その主人公として平凡な主婦を選び、そして、ハタから見ればほとんど陳腐でありふれたゴタゴタの末、見事、新しい命を与えているところに、桐野夏生の物書きとしての決意を感じる。
最後で、夫の急死のあとに実は愛人があったことに気づかされるという主人公敏子の体験談が雑誌に載り、「これ、あなたが書いたんでしょ」と言われる場面がある。それは、敏子の友人が自分の話だと偽ってシニア雑誌に投稿した文章だった。ありがちな自己陶酔的な文章。敏子は自分が書いたものではないと否定し、疑う相手に、私の体験なんてどこにでもある話だから、と言ってみせる。「言葉を獲得する」とは、安易な共感を求めて文字を連ねることではなく真の孤独のなかに放り込まれることなのだと、きっぱり宣言していて、さわやか。