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■2007.4.25
書店でひとめ見たならば、抵抗は不可能。買わずにはいられない本。「文字の母たち」(インスクリプト)。
フランス国立印刷所の、工房、そして、活字。金属や木や紙の質感の伝わってくる写真と、そして落ち着いた文章。活字の重厚な存在感を「昔はよかった」ふうにほめたたえるのは簡単だけど、そういう安易さを許さない感じが、この本にはある。
文字というものの存在が、感じさせるものは、実に幅広い。思想や宗教みたいな目に見えない概念から、ごくマテリアリスティックなものまで。言葉が生まれる前の思いや衝動に満ちた原初的な光景から、すべてが死に絶えたあとの風景まで。文字が、こんなふうに時間や空間を超えた何かを想起させるのはなぜだろう。
この本を読んで私はボルヘスのバベルの図書館を思い出した。世界中のすべての書物を蔵する図書館だ。この印刷所は、あらゆる言語の活字を持っているのだから、すべての書物を持っている、実在するバベルの図書館と言えるのではないか。それも、まだ存在しない未来の書物も。
印象にのこったエピソードがふたつ。
ひとつは、活字を拾って版を組む仕事をするジョエルさんの話。彼はラテン・アルファベット以外の原稿、つまり、ギリシア語、ヘブライ語、アラビア語、それから日本語や中国語やヒエログリフなどを一手に引き受ける「オリエンタリスト」で、彼が言うには、すべての言語を理解しているわけではないが、原稿の内容は大体理解しているとか。たくさんの言語の活字を拾いながら、言葉をかたちとして(そしてかたちの組み合わせとして)理解するのである。言葉を理解するということの意味を、もう一度考えてしまうような話だ。
それからもうひとつは、本の終わりのほうで、舞台を大日本印刷の工房に移してから書かれている話。活字を手で彫る最後の職人が、マッチ棒くらいの太さの金属棒に文字を左右逆に彫っていく様子が再現される場面は、まさに驚異的、読んでいるだけで息詰まるものがあるのだが、それを目の当たりにしながら、著者は「字を彫る人の姿勢は、本を読む人の姿勢と同じ」と指摘する。字を彫ることと字を読むことが、書物の裏と表でつながるように、同じ身体によって担われていることが重要なのだと言う。「書物と肉体」。この言葉は、私のなかにずっと留まり続けるだろう。 |
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■2007.4.17
「仏像のひみつ」(朝日出版社)。
仏像初心者の私にとっては、まさに、待ち望んだ一冊。絵もきれいだし、レイアウトも見やすく、誉めたいところはたくさんあるけれど、文章がとっても親切なのがいちばんうれしい。初心者や子どもに向けての本と言いつつ、やっぱり専門用語が多くどこか権威的でがっかりすることも多いが、これは大丈夫。博物館に長く勤めていたという著者は、あとがきで、従来の博物館での解説は「有名な作品がなぜ有名かという話ばかりしているので、その有名な作品によって普遍的な問題を語ることができず、それによって他の作品の見かたをまなぶことができない」と批判していて、その点を考慮したというこの本では、かなり大胆にポイントを整理してくれている。
以前、ルーブル美術館展を見に行ったとき、ちょうど学芸員によるツアーと一緒になったのだが、「この作品はとっても価値ある貴重なものなんだから見ておくべきだ」という説明ばっかりで、聞けば聞くほど、絵がどんどん生彩を失い古ぼけた絵の具の残骸にしか見えなくなり、すっかり興ざめしたことがあるのを思い出した。それでも絵画のほうは楽しい語り手が何人かいるけど、仏像のことを、このように柔軟に語れるこの著者は、貴重な存在なのだ。
とにかく、仏像がおもしろいのは、それが人間の精神のカタマリだからということが、この本を読んでよくわかった。もっとよく生きたいとか、幸せになりたいと思いながら、ああでもない、こうでもないと、試行錯誤七転八倒右往左往してきた、何百年にもわたる魂の営みが、仏像ひとつひとつに見えてくる。おもしろくないわけがないのだ。 |
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■2007.4.11
安穏とできない場所に、生きてあることの不安を直視せざるを得ない場所に自分を追いやる、こんなにも生真面目に。
なぜ、輪郭はこれほどまでにあやういか。世界を見ることなんかできやしないのに、目を凝らしてしまうのはなぜか。一切が厳しい否定であるのに、こんなにあたたかく、ときに熱いのはなぜか。
「中平卓馬 日本の写真家36」(岩波書店) |
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■2007.4.7
旅行に出るときのおともは、最近はミステリとかエンタテイメント系が定番。今回の信州への短い旅は、恩田陸「Q&A」(幻冬舎)。問いと答え、つまりふたりの人間の会話だけによる小説。章ごとに、話者は入れ替わる。郊外の大型スーパーで起こった、たくさんの死傷者が出たにもかからず原因不明という事故をめぐるやりとり。無表情なもの、空虚なものにたいする、うすら寒さのような感覚が全編をおおう。しかしながら、中央高速をくだるバスの窓からの風景は、桜の東京、桃の甲州、梅の信州と、ストーリーとは対照的にピンク一色なのであった。 |
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■2007.4.5
DVDになった映画「太陽」を見て、以前読んだ「オフィシャルブック」(太田出版)なるものを、もう一度引っ張り出して来て読み直した。監督ソクーロフへのインタビューは2本だけで、あとは数多くの評論や座談などが集められている。褒めてるのもあるし、けなしてるのもある。論評や発言の多くは、天皇を映像として描くことや、天皇の人間性を強調することの意味などについて触れられていたが、私は過敏な反応に思えてしまう所がたくさんあった。ヒトラーとかマルコムXとか、そっくりさん映画は世の中にいっぱいあるのだから、今さら卑屈な笑みを浮かべながら「不敬」なんて言葉を持ち出されても……。ロシア人に天皇制がわかるか、とか、イッセー尾形なんて日本人かどうかもわからない名前の奴が天皇を演じるなんて、みたいな発言には思わず苦笑してしまう。「歴史認識の欠如」とかいって叱られそうだが、そういうみなさんには、「まんがキッチン」を読んで愛を勉強しなさい、と言ってやりたくなる。
この映画の宣伝には「禁断の」とか「公開が危ぶまれた」とかいう文句が盛んに使われているけど、誰が「禁断」だと考えているのか、誰が公開を危ぶんだのか、はっきりと教えてくれればいいのに。
映画は、とってもおもしろかったし、美しかった。イッセー尾形もそっくりだったし。 |
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■2007.4.1
「星新一 一〇〇一話をつくった人」(新潮社)。
何を隠そう、かつては私も、星新一を読みあさったクチ。今読むと、ほのぼのとしたおとぎ話みたいだけれど、あの時は、夜のベッドで、かなりドキドキしながら読み耽った。駅前の本屋さんには、新潮文庫の黄緑色の背がたくさん並んでいて、端から順番に買っていった。ただ作品のおもしろさを味わうのが精一杯で、作者の意図に思いを馳せたりすることなど考えもしない年頃だった。そしていつか、興味はほかに移って、懐かしく読み返すこともないまま今に至っている。
この本によると、その新潮文庫の「ボッコちゃん」は今まで200万部以上が売れていて、全部の本を合わせると星新一作品は文庫だけで3000万部以上になるのだという。これだけの国民的作家なのに、どこか存在感が薄いのはなぜなのか、それが、この本の書かれた理由だと言えるのかもしれない。理知的で、ときには無機質に思われるほどクールな作品の裏に隠されている苦悩を知らされて、胸の詰まるような思いをしたのは、私だけじゃないと思う。
たくさんの資料にていねいにあたっていることが伝わる労作。ノンフィクションの価値は、作家がどれだけ対象にたいして誠実であったかによると思うのだが、その点でおおいに満足させられた。 |
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