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アジアで風に吹かれる
「なぜ、あたしという一人のちっぽけな人間の中に、
線で隔てられたたくさんの現実があるんだろう。
あたしは一人しかいないのに」。
違う現実に身を置きたくて旅に出る。自分ではない人に出会いたくて旅に出る。でもアジアへの旅で、出会うのは多くの場合「自分」だ。自分との違和感。そして、現実との違和感。折り重なってくる違和感が、私を揺り動かす。そして、私を強くする。タイへの旅を描いた「彼女のプレンカ」には、年に一度のお祭りで聖なるブランコに乗りながら歌うアカ族のこんな歌がでてくる。
明日は死なないから、飛んでごらん。
明日は飛んで行かないから、今夜は歌おう。
若い女性写真家による香港返還前後の2年間の記録。出会う人、社会、くらしが、600ページにわたって生の形でつづられる。天に届かんばかりの高層ビルの建ち並ぶ香港で、限りなく地べた近く腰を据え、香港が持つパワーに圧倒されながら、彼女の想いは時々ふわりと宙をさまよう。気取りなく描かれたとまどい、笑い、涙。
香港のどんなところが好きなのかと尋ねた時、
彼はこういった。
「ここは最低だ。でも俺にはここが似合ってる」
そのセリフを聞いた時、自分にはそんな
愛に満ちたセリフをいえるだろうかと思った。
日本は「いい」国で、自分には合っている。
それならもっと幸せそうにしていてもいいはずなのに、
この憂鬱な感じは一体何なのだろう?
韓国人とのクォーターである作家、鷺沢萌。けれど、彼女自身がそのことを知ったのは20才をすぎてからだと言う。そして「ハングルに感電した」彼女は韓国語を学ぶためソウルへ留学する。自分を確認するために「ことば」を学ぶ。それは小説家の宿命かもしれない。韓国での熱い体験が終わりに近づいてきたとき、さまざまな感慨とともにこんなことばが記されている。
人間にはまだしょわなければならない荷物がたくさんある。
できることがたくさんある。
忘れたくないこと、憶えておかなければならないと
思うことはそれだ。
タイへ、香港へ、韓国へ、それぞれの国へ出向いていった女性たちは、絶望の一歩手前で踏みとどまる。たとえそこにバラ色の未来がなくても、日本という鬱屈を放たれ、素に戻った彼女たちのことばは、ひたすらさわやかだ。空しさも、切なさも、やりきれなさもすべてそのままに、アジアを渡る熱い風に吹かれながら。
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