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東京のもうひとつの顔
「東京アンダーワールド」()。しかし東京の場合、「アンダー・ワールド」は地中奥深くではなく、薄皮一枚隔てたそこにある。私たちの社会を実際に動かしているものの影に気づいていながらあえてそれを無いもののようにしか扱わない、このあやういバランスに東京という都市の不気味さはある。
かつて東京のマフィア・ボスと呼ばれたひとりの男のライフ・ヒストリーを主軸として描かれる戦後。描き手は、「ガイジン」ジャーナリストだ。
GHQ、M資金、プロレス、東京オリンピック、在日韓国人、東声会と稲川会、ロッキード事件、住専など、戦後を象徴するキーワードが、日本というシステムのもとに絡み合う。
物語は終戦直後のヤミ市を舞台に始まる。しかし日本人がそれを語る時のような感傷は排除されている。緻密なリサーチに裏付けられた文章の冷静さ、ドライさが新鮮だ。そう、あそこから民主主義が始まったはずだったのだ。けれど半世紀たって、私たちは今、実は民主主義は始まってはいなかったのではないかという疑念にとらわれている。
「東電OL殺人事件」()。このドキュメンタリーもまた、東京の横顔を生々しく描いている。450ページにわたる本文中では、殺人事件の現場となった古いアパートとその周辺が何度も描かれる。携帯電話片手の女子高生であふれる渋谷のはずれ、背後には美術館や公館もある高級住宅街をひかえたラブホテル街円山町が事件の舞台だった。一流企業のエリート女子社員でありながら、夜の町に立っていたひとりの女性にこの社会が抱えてしまった矛盾、後戻りできない狂気のふちに自らを追い込んでしまった私たちの現実を重ね合わせてみようとする。
彼女の不幸は、しかし、堕落への道にわが身を
愚直なまでに落としこんだこと
それ自体にあるわけではない。
彼女の不幸は、援助交際の女子高生でにぎわう
渋谷センター街をはじめとする世間の方が、
とっくに、しかも軽々と堕落していることに、
おそらく気づいていなかったことである。
そして、ここにもまた東京の片隅で、もがくように生き続ける人間がいる。「山谷崖っぷち日記」()と題されたこの作品を著したのは山谷労務者である。
吹き溜まりと言われる特殊な状況での人間観察、と読むことも、もちろんできる。しかし、そのような限定された状況においてさえ、人間の精神は自らの在処をめぐって、果てしなくさまよう。
山谷における重要な階級差の境界は、
住居の有無ではないと思う。
では、それは何かといえば、
私は食べ物を漁るか否かだと思う。
住まいがないのと、食べ物を漁るのとでは、
明らかに惨めさの程度が違うのである。
一語一語刻みつけるその間にも、著者の自尊心は乱飛行を繰り返す。ただ「正直さ」というものを丹念に辿ろうとするその姿勢が、文章の品格を侵しがたいまでに高めている。
私は、自分の身体と心以外のものを
運ぶことのできる容器としてはつくられていない。
私の身体と心以外の重荷を担うことに、
結局は耐えきれなかっただろう。
この重荷のために、私の精神は結局どこかで
押しつぶされてしまっていたであろう。
著者はこう書くが、しかし、この私に、自分の身体と心以外の何を運べるというのだろう。袋小路に追いつめられて、それでもなお、わずかな自尊心にしがみつこうとしている人間の姿は、そこが山谷であろうと、永田町であろうと、高級住宅街であろうと同じように繰り広げられている私たちの姿だ。さて、崖っぷちに立たされているのは、私だろうか、あなただろうか、それとも日本というこの国なのであろうか。
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