|
|
0
1 4
盗み読まない日記
一月一日。・・・僕ハ今年カラ、今日マデ日記ニ記スコトヲ
躊躇シテイタヨウナ事柄ヲモ敢テ書キ留メルコトニシタ。
あたかも「現実」そのままであるような顔をして、
巧妙にねつ造された「現実」を作り出す日記。
妻に盗み読みされるために書く夫の日記と、
夫に盗み読みされるために書く妻の日記だけで構成された、
谷崎潤一郎の小説「鍵」では、
日記のもつ巧妙な仕掛けが私たちを惑わせる。
現実は、ひとたび言葉に置き換えられるやいなや、
私たちの手をすり抜けて、勝手な現実をつくり上げる。
例えば左手で、利き手ではない方の手で、記されたならば
いともたやすくひっくり返される。
右から左へ、私は青黒い光を持ち替える。
私の机はまだ右利き用の配置にあるので、
ほんとうの光は左から来て、
持ち替えたペンの先は左手そのものの影に入る。
その取り残されて危なげな、
不吉にもいかがわしい小さなかすかな影の中で、
ここからの私の時間はリズムを刻む。
息は旋律を探しはじめ、言葉はもう、
鈍く発光したがっている。
ペンを左手に持ち替え、裏返った世界では
言葉ひとつひとつが、たどたどしく、おぼつかない。
なめらかさを失った現実の中に、詩人は光を見る。
そう、日記は日常に光を当ててもくれる。
武田百合子の「富士日記」()。
タイトルは明らかに夫・武田泰淳の「富士」と呼応している。
そこに記された、天気、食事、家族の動向、小さなできごと。
しかし、すべてがみずみずしく光っているのはなぜだろう。
日記は昭和39年にはじまって、泰淳が亡くなる51年まで。
この日記のなかでは、夜空の月や、葉の上の露や、うどんの湯気までが
生き生きと眼の前に現れる。
すべてが小さな光を放ちながら 。
|
|
|