●1
「ニジンスキーの手記」
ヴァーツラフ・ニジンスキー
鈴木晶/訳
新書館 3200円

●2
「病める舞姫」
土方巽
白水社 920円

●3
「大野一雄 稽古の言葉」
大野一雄舞踏研究所/編
フィルムアート社 2100円

●4
「踊る島バリ」
東海晴美・大竹昭子・泊真二/取材・編
パルコ出版 品切れ
 
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踊る者たちのことば



こんなにかわいた時代だというのに、そこかしこで、 たくさんの人が一心に踊っている。
ダンスする人は、肉体そのものであるようにも見えるし、 肉体から自由になりたがっているようにも見える。
ダンスをきわめた人がかいま見た この世とあの世の境目に思いをはせてみる。

 私は肉体をまとった感情であり、肉体をまとった知性ではない。
 私は肉体である。私は感情である。
 私は肉体と感情をまとった神である。
 私は人間だ。神ではない。
           「ニジンスキーの手記」----●1

しかしまた、踊りを踊る者の言葉は、 どんなに詩的で幻想的な空気をまとってはいても どこか非常に冷めている。 まるで踊り続けることは凝視続けることだ、と言わんばかりに。

 私は骸骨で生まれたのだ。
 だから途中から肉がつき、
 その肉がどんなに熟れていっても、
 そんな肉に、ひっついた考え事が満足なものに熟れていく
 筈がないではないか。
           「病める舞姫」----●2

 狂気から知性が生まれるとしても不思議ではありません。
 しかし知性から狂気は生まれません。
 できたならば、狂気のなかに
 深く入り込んでいることを願っています。
            「大野一雄 稽古の言葉」----●3

舞うことが、こんなにも壮絶な葛藤を必要とするならば、 なぜ人は踊り続けるのだろう。
そう考えるとき、バリの踊り手のこんな言葉を思い出す。

 だって私の体を操っているのは神さまなんですからね。
 私の踊りは私に宿る神さまの光なんですから。
            「踊る島バリ」----●4