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犬と人と

「ユリシーズの涙」
ロジェ・グルニエ 
宮下志朗/訳 
みすず書房


  「オデュッセイア」のユリシーズが乞食に身をやつして故国に帰還したとき見たものは、老いて見捨てられ横たわる、自分の犬アルゴスの姿だった。その時流された涙が、タイトルの「ユリシーズの涙」だ。そしてもうひとつ、グルニエのもう死んでしまった愛犬の名もユリシーズであった。
この本は、ユリシーズとの思い出話や世間で耳にした犬のエピソード、そして、小説や哲学者のエッセイなどに登場する犬についての断章から成る。ヴァレリーやフロベールは言うまでもなく、カフカ、セルバンテスなど、さまざまな場所にちらっと姿を現す犬たちが紹介される。挙げられる人物や作品名の幅広さもそうなのだが、その紹介の仕方がさりげなく、愛情深く、そしてウィットにとんでいて、そのエレガント手つきは、本当にもう、誰にも真似できないグルニエの芸の技なのである。人にそそがれる眼差しと犬にそそがれる眼差しが、まったく等価なのが、心地よい。穏やかな口振りでちょっとユーモラスに語りながら、ちょっと切なく奥深い感動を残す貴重な一冊。
「犬のルーカス」
山本容子 
ほるぷ出版


  犬について書かれた本と、猫について書かれた本とでは、それはもう、圧倒的に猫の方が多いにちがいない。猫を語る言葉が、憧れや嫉妬やアイロニーによって
いともたやすく詩的になるのにくらべて犬を語るときの言葉は、どこかおぼつかない。これが愛情なのか、友情なのか、それとも支配なのか慎重に見極めようとしている。
「犬のルーカス」は、犬絵本のなかでも、気に入っている一冊。ある日、突然迷い込んできた犬との暮らしを綴る。とりたててのろけもじまんもないし、かわいいとか、いとしいという言葉さえも出てこない。ただ、淡々と観察する目でルーカスのことを説明するのだが、だからこそ、作者が犬のことをどんなに大切に思っているかが伝わってくる。
この1冊の絵本には数え切れないほどたくさんのルーカスが描かれている。いや、そこに描かれているのは、ルーカスの姿というよりも、ルーカスを見つめる人間のまなざしなのかもしれない。そう、愛するというのは、見ることなのだ。
どのページのルーカスもこちらを見てはいない。彼はひたすら彼の孤独のなかにいる。けれど、人から犬への愛情は、一方通行であっても過不足がない。
「ダーシェンカ あるいは子犬の生活」
カレル・チャペック 
保川亜矢子/訳
メディア・ファクトリー


  チェコの作家、カレル・チャペックの「ダーシェンカ」は、いくつかの版で翻訳が出ているほど人気。この翻訳本は1998年に出たものだが、初めて直接チェコ語から訳された本であること、装幀がチェコで最初に出版された時(1933年)のカレル・タイゲのものと同じデザインであること、また、巻末に千野栄一が解説を書いている、という点で、私にとってはこれが決定版。
最初に日本で翻訳本が出されたとき(チェコでの出版の翌年とあるから、早い!)に佐藤春夫が序を書いていて、その一節が千野栄一の解説で紹介されている――「この本を店頭から持ってかへることは犬好きにとっては愛らしい仔犬を一疋抱えて帰るに同様に楽しいものに相違ない」。まさに、しかり。
何度読み返してもあたたかい気持ちになり、そして、ほろっとさせられる。そして、犬を飼うならフォックステリアに限ると、思いこんだりする。随筆の名手の技、と簡単に言ってしまえないようなものを感じてしまう。
最後のところだけ、引用しておこう。

 でもねダーシャ、うちにいるんだ、という気持ちになれるのは、
 人間といるときだけだ。
 人間とおまえを結んでいるものは、血よりもずっと不思議で
 やさしい何かなんだよ。その何かっていうのは、
 信頼と愛なんだ。
 さあ、行っておいで。
「ティモレオン センチメンタル・ジャーニー」
ダン・ローズ 
金原瑞人・石田文子/訳 
中公文庫(写真は単行本)


  犬が主人公のノワール小説。そして、ハードボイルド。いや、主人公が人間でない分、より野蛮で、そして、より優美。
作中、雑種犬ティモレオンは、擬人化されず、感情移入もされず、ひたすらに犬として犬らしく生きる。物語は、強い光を放ちながら疾走し、のどかな動物物語を期待する読者を、これでもかと裏切っていく。ティモレオンは、ただの犬として、小説の中で毅然と生き続ける。人間の都合によって、何度も、痛めつけられたり、飢えたりするが、それでも、人間ごときにティモレオンの尊厳を損なうことはできないのだ。
愛と優しさにあふれた人間のそばで、犬は生きる。そして、孤独にさいなまれ、残酷さにいたぶられ続ける人間のそばでも、犬は生きる。
「ベルカ、吠えないのか?」
古川日出男 
文藝春秋


  物語は、1943年にアリューシャン列島に捨てられた日本の軍用犬たちの話から始まる。絶え間なく戦争・紛争の続く20世紀。名前を与えられた犬たちと名前のない人間たちが登場する壮大な現代史だ。
犬たちは、走り、食い、交尾し、殺す。犬たちは生き延びていくが、人間は次々と死ぬ。犬たちは賢く高貴だが、人間は愚かで浅ましい。最初の1ページから最後のページまで、短いセンテンスで言い切っていきながら、一気に畳みかけるように続いていくエネルギッシュな小説。
孤独や恐怖や絶望におおわれた世界で、自分の力で生きる能力のある者とそうでない者、どちらが生き残るのかは、言うまでもない。もしかしたら、人間はすでに、犬たちの後ろを必死で追う哀れなペットなのかもしれない。
「ティンブクトゥ」
ポール・オースター 
柴田元幸/訳 
新潮社

  ウィリー・G・クリスマスは、社会の落ちこぼれだった。けれど、ウィリーが、ホームレスであろうと、テレビとアルコールを愛する精神病患者であろうと、いかさま詩人であろうと、彼の犬、ミスター・ボーンズには、そんなこと関係ない。孤独なウィリーの語りかける言葉が、多弁症という病気からくる意味のないおしゃべりであり、それをずっと聞いていたせいで、彼がもう人間の言葉を完全に理解するまでになっていてが、そんなこともミスター・ボーンズにとってはささいなことのように見える。それは、ウィリーが人間で、ミスター・ボーンズが犬だからではない。唯一の大切なことは、ふたりの関係そのものだった。それは、愛とか絆と呼ばれるものとはちょっと違う。ひとつの宇宙を抱いているような立体的な関係性であり、存在そのものを支える根源的な関係性だ。そうであってこそ、ウィリーのように、人は犬の生の中で生きることができるのだ。
ポール・オースターは、犬が主人公のこの小説がセンチメンタルな共感だけで読まれることを危惧したのか、人間に対しても犬に対しても、慎重に、均等な距離感を保ちながら書いている。けれど、死によって分かたれたウィリーとミスター・ボーンがティンブクトゥで再び出会うことを予感させながら終わる点から見ても、オースターには、やはり隠しきれない犬への思い入れがあることは確かで、それを好意的にとらえるかそうでなくとらえるか、この作品への評価の分かれるところだという気がした。
「アンジュール ある犬の物語」
ガブリエル・バンサン
BL出版

  「アンジュール」とは、フランス語で「ある日」という意味だ。この絵本は、まさしく「ある日」の物語なのかもしれないし、「アンジュール」という名の犬の物語なのかもしれない。それが明かされないところに、「自分の運命にとって決定的な一日」と「他人にとっての何の変哲もない平凡な一日」が同じ場所にあるというドラマの事実が指し示されて、思わず粛然としてしまう。「身勝手な人間、そしてその犠牲となる犬」という単純な読みとりを、この本は拒まないし、拒まない寛容さがこの本の魅力なのかもしれないが、そこには留まりたくないと誘惑もする。
犬の動きだけで物語が進行してゆく。絵のこちら側にいて、あきれるほどたんねんに犬を見つめ、デッサンするのは誰か。犬を愛する者は誰か。
「ヌレエフの犬 あるいは憧れの力」
エルケ・ハイデンライヒ/作
ミヒャエル・ゾーヴァ/絵
三浦美紀子/訳
三修社

  バレエダンサー、ヌレエフが晩年に飼った犬、オブローモフを主人公とする、虚実入り乱れたショートストーリー。かみそりの刃のようなシャープな身体と感受性の持ち主ヌレエフが、体つきも性格もぱっとしない一匹の犬と出会ったのは、カポーティーのパーティー。スノビズムと頽廃の象徴のような場でのこの出会いはちょっと滑稽で淋しげだ。オブローモフというのは、もちろんゴンチャーロフの小説からとられた名前で、そこからもわかる通りおよそヌレエフとは正反対の個性の持ち主だったのだ。でもヌレエフはこの犬のおっとりした存在感を愛し、オブローモフは、いつも稽古場でダンサー達の姿を憧れの眼差しで見ていた。
文章は淡々としている。物語には教訓的な結末もオチもない。けれど、人間と犬、鋭と鈍、この2種類のクオリティが互いに尊重し合う様子が静かに伝わってきて、ちょっと心が痛くなってしまうのだ。
ヌレエフはじめ実在の人物を登場させるちょっと変わった手法が成功していて、雰囲気のある作品に仕上がっている。ミヒャエル・ゾーヴァの絵も、似合っている。

「たかちゃんとぼく」
細江英公/写真  ベティ・ジーン・リフトン/文 
石津ちひろ/訳
小学館

  1967年にアメリカで出版された写真絵本が30年後に日本で翻訳出版されたもの。本当に良いと思える写真絵本は案外少ないのだけれど、これは特別。写真のつややかさ、物語の運び、英語から移したとは思えないほどなめらかな翻訳。この本に関わったすべての人の愛情を感じる、あたたかい本。


「犬 他一篇」
中勘助
岩波文庫 (品切れ)

  これを「犬の本」と呼ぶのは誤りかもしれないが、犬に接するとき、私はこの小説を思い起こさずにはいられない。犬の獣の匂いと、人間の精神の匂いに、眩暈を覚えるような物語。