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本が本であるために
本について語るとき、誰もがため息まじりになったのはいつ頃からだろう。本について語られた無数の言葉の上に、今、どんな言葉を積み重ねることが有効なのだろう。
「本」を読むとは、紙背越しにその世界を透視することに他ならない。
「本」を紙面上のテキストへ還元してしまっては妙味に乏しい。
文書を読むだけで善しとする、こうした偏狭な眼差しがモノとしての
「本」の存在を貶めてきた。
西野嘉章「装釘考」 より
本の作り手たちが共通して語るのは、本は触覚で楽しむものだということ。表紙を撫で、ページを繰り、紙の微かな匂いを嗅ぐ。良い本というのは、この「触覚」にどこまで自覚的であるかによって決まるのかもしれない。
ブック・デザイナーの菊地信義は、このことを指して本は「手の中で始まるドラマ」なのだと、言う。
要するに本なんて読まなくたって日常生活は過ごせるものですし、
とくにいま人生において
何の不安も悩みもなくてといった、そういう人たちが、
読むということを求められてくるように存在する本、
そういう本こそが、究極の本だと思っているところがあります。
菊地信義「装幀談義」 より
活字、用紙、製本、しおり、ノンブル‥‥。視線は細部へと集められても、体は常に本という普遍世界を向いている。そんな姿が本への信頼を呼び起こす。
本でなくてはならない本、必然的な本、
どの角度から見ても本当の本は
これだと言えるだろう。
武井武雄「本とその周辺」 より
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