●1
「ふたりのロッテ」
エーリヒ・ケストナー 
高橋健二/訳
岩波書店 1560円

●2
「古都」川端康成 
新潮社 400円

●3
「運命の双子」
ダリン・ストラウス 
布施由紀子/訳
角川書店 1600円

 
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双子物語



多くの人がいちばん最初に出会う双子、
それは多分「ぐりとぐら」。
「ぐりぐら」というこころよいひびきが作り出す、
ふたりでひとつの、あたたかな世界。
そして、次はやはり、「ふたりのロッテ」でしょう。
両親の離婚で別れ別れになった双子が
9才の時に偶然もうひとりの自分を発見する。
真実を知ったふたりの女の子が、相手のすべてを知ろうと、
夢中で語り明かす場面は、今読み返しても思わず興奮させられます。

 今まで子どもの空に包まれていたのもは、じぶんたちの世界の
 半分にすぎなかったのです。
 そういうことが、にわかにわかったのです!
        ケストナー「ふたりのロッテ」(----●1)

そう、この双子たちにとって、相手を知ることは、
まさに自分を知ることだったのです。

私があなたではなく、私であるということ。
あなたが私でなく、あなたであるということ。
さまざまな文学作品が持つ問いかけは、もしかしたら
「私」と「あなた」という問題につきる、と
言えるかもしれません。
でも、その根本的な問いかけを、
「ふたご」という存在は、あっさりと突き崩してしまいます。

 「ほんまに、幻なんて、あんのどすか。」
 「ここに……。」と、苗子は千重子の胸を、ゆすぶった。
 「うちは幻やおへん。苗子さんと、ふた子どす。」
              川端康成「古都」(----●2)

赤ん坊の時に生き別れになったという点では、
ロッテたちと同じ運命を辿った
千重子と苗子。
でも、彼女たちの場合、出会ったときには、すでに
「世間」や「自分」を知りすぎていたのかもしれません。
運命とも必然とも言える出会いののち、この双子は、
もうひとりの自分への愛情、そして自分自身への愛情の間で
それぞれに心を揺らすのです。

「運命の双子」(----●3)という作品は、
シャム双生児という呼び名のもとになった
体の一部がつながって生まれた実在の双子に着想を得て、
この双子の波瀾万丈の運命を描いた小説です。

ほとんど完全な四肢をもちながら、まったく別の人格をもちながら
胸の一部がつながっているために、文字通り
生まれてから死ぬまで、すべての行動を共にした双子。
見せ物小屋で働き、そして、それぞれに結婚して、
子どもをもうけます。
ほとんど息がかかるような距離のふたりの間に繰り広げられる、
愛、憎しみ、憐憫、嫉妬。

死の影がせまったとき、双子のひとりである「わたし」は
自分たちの運命をこう振り返ります。

 わたしはわたしなりに、ふたりぶんの生涯を生きたと思う。
 私の人生にはふたつの意味があった。
 青年時代は何よりも孤独にあこがれ、
 老いてからは、孤独をきらい、愛の不在を否定した。

「同じ」ということは「違う」ということを包み込み、
「違う」ということは「同じ」ということを包み込む。
「双子」という存在が作り出す世界は、
向き合う2枚の鏡のように、無限の問い返しを奏でます。

 その瞬間、わたしはまた、弟を大好きだと思った。
 よくほかのふたごが言ったり書いたりしているように、
 自分の一部としてではなく、おそらくは自分と同じぐらい
 深く愛していたのだと思う。