|
|
0
2 9
双子物語
多くの人がいちばん最初に出会う双子、
それは多分「ぐりとぐら」。
「ぐりぐら」というこころよいひびきが作り出す、
ふたりでひとつの、あたたかな世界。
そして、次はやはり、「ふたりのロッテ」でしょう。
両親の離婚で別れ別れになった双子が
9才の時に偶然もうひとりの自分を発見する。
真実を知ったふたりの女の子が、相手のすべてを知ろうと、
夢中で語り明かす場面は、今読み返しても思わず興奮させられます。
今まで子どもの空に包まれていたのもは、じぶんたちの世界の
半分にすぎなかったのです。
そういうことが、にわかにわかったのです!
ケストナー「ふたりのロッテ」
そう、この双子たちにとって、相手を知ることは、
まさに自分を知ることだったのです。
私があなたではなく、私であるということ。
あなたが私でなく、あなたであるということ。
さまざまな文学作品が持つ問いかけは、もしかしたら
「私」と「あなた」という問題につきる、と
言えるかもしれません。
でも、その根本的な問いかけを、
「ふたご」という存在は、あっさりと突き崩してしまいます。
「ほんまに、幻なんて、あんのどすか。」
「ここに……。」と、苗子は千重子の胸を、ゆすぶった。
「うちは幻やおへん。苗子さんと、ふた子どす。」
川端康成「古都」
赤ん坊の時に生き別れになったという点では、
ロッテたちと同じ運命を辿った
千重子と苗子。
でも、彼女たちの場合、出会ったときには、すでに
「世間」や「自分」を知りすぎていたのかもしれません。
運命とも必然とも言える出会いののち、この双子は、
もうひとりの自分への愛情、そして自分自身への愛情の間で
それぞれに心を揺らすのです。
「運命の双子」という作品は、
シャム双生児という呼び名のもとになった
体の一部がつながって生まれた実在の双子に着想を得て、
この双子の波瀾万丈の運命を描いた小説です。
ほとんど完全な四肢をもちながら、まったく別の人格をもちながら
胸の一部がつながっているために、文字通り
生まれてから死ぬまで、すべての行動を共にした双子。
見せ物小屋で働き、そして、それぞれに結婚して、
子どもをもうけます。
ほとんど息がかかるような距離のふたりの間に繰り広げられる、
愛、憎しみ、憐憫、嫉妬。
死の影がせまったとき、双子のひとりである「わたし」は
自分たちの運命をこう振り返ります。
わたしはわたしなりに、ふたりぶんの生涯を生きたと思う。
私の人生にはふたつの意味があった。
青年時代は何よりも孤独にあこがれ、
老いてからは、孤独をきらい、愛の不在を否定した。
「同じ」ということは「違う」ということを包み込み、
「違う」ということは「同じ」ということを包み込む。
「双子」という存在が作り出す世界は、
向き合う2枚の鏡のように、無限の問い返しを奏でます。
その瞬間、わたしはまた、弟を大好きだと思った。
よくほかのふたごが言ったり書いたりしているように、
自分の一部としてではなく、おそらくは自分と同じぐらい
深く愛していたのだと思う。
|
|
|