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ラブレターズ
どんなに言葉をつくしても、愛そのものからは遠く隔たっている。しかしそれでも、言葉を重ねずにはいられない。考えてみると、この世の中で、ラブレターに連ねられた言葉ほど、切実なものは、ないのかもしれません。
精一杯飾りたてた言葉も、さりげない一言も、ラブレターのなかでは、完全に等価です。そこは、「愛」という、ただひとつの価値に支配される空間だから。
たとえば、没後20年にしてはじめて公開された向田邦子の書いたラブレターを読むと、愛は行間から立ち上ってくるのだと、よくわかります。
寒さがこたえているようですが、なんとか頑張って下さいな。
ムリして、電話なんかかけに出ないように。
手袋を忘れないように。 では又
「向田邦子の恋文」
向田邦子が30代のときの秘められた恋。恋人の自殺によって終わりを遂げた恋。
相手の男性の抱える複雑な事情もあって、邦子は生前、この恋愛のことを心に秘めていたそうです。
しかし、これらの手紙からは、多忙な生活の、わずかなすき間をぬって少しでも一緒の時間を過ごし、会えないときは、手紙でコミュニケーションをとっていたふたりの姿がくっきりと浮かび上がってきます。
ふたりの関係の具体的なあれこれを知る術はなくても、直接的な表現は一切なくても、相手を思いやる気持ちに満ちあふれているこれらの手紙から私たちは、形にならないこと、形にできないことの尊さを教えられます。
ひとくちに「愛」といっても、その形はさまざま。谷崎潤一郎の手紙からは、谷崎独特の愛の形があからさまになっていて、つきない興味をかきたてます。
私はどんなことでも君の言葉通りに絶対服従します
君には何か
他人を服従させずにはおかない威力のやうなものがありす(ママ)
「谷崎潤一郎=渡辺千萬子 往復書簡」
「瘋癲老人日記」の颯子のモデルだと言われている、この女性をひたすら讃美し、慈しむ、老年の男性。谷崎という大きな存在に愛され、守られて、成長していく若いひとりの女性。渡辺千萬子は、谷崎の妻、松子の実子の嫁にあたる人です(戸籍上は、さらにもう少し複雑な関係だったのですが)。ですから、いわゆる男女の仲とは、違う関係でした。けれど、これらの手紙が、まさに谷崎の小説世界をスリリングに再現していることに気づかされるのです。
「茶の本」などで知られる岡倉天心(覚三)。明治時代に、世界をまたにかけて活躍した文化人であり、51才という短い生涯でしたが、その晩年に、濃密な手紙のやり取りがあったことが明らかになりました。
相手の女性は、インドの女流詩人。彼女は若い時に夫を亡くした未亡人でした。当時のインドでは、未亡人の再婚も恋愛も御法度。遠く海を隔てて、ひそやかに交わされた書簡だったのです。
ああ、私のすべての想いは涙にとけてしまう、光輝く朝。
それはあなたが遠く遙かだから。
吐息の一つ一つは、ため息に変り、おののくような笑いは、
雨に洗われた谷間の、びしょぬれの花によく似ている。
「宝石の声なる人に」
一語一語が、深い輝きを放っているラブレターの数々。その気高さ、その美しさ。しかしそれは、ふたりが語学や文学にたけていたからではないでしょう。そして愛の秘密の前に、高い知性と成熟した感情が頼りない子供のようにふるえてしまう、そんなふたりの無垢な心が、あふれるほどの愛の言葉を、紡ぎ出したのでしょう。
他人の愛を盗み見るうしろめたさ。
けれど、そのうしろめたさをかき消してしまうほどの不思議な魅力が、ラブレターには潜んでいるのです。それは、「愛」というものが持つ、普遍的な力ゆえなのでしょうか。それとも、人の心の奥底のどこかには、愛に照らされて輝くような、小さな湖が、水をたたえているからなのでしょうか。
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