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禁忌の書

「放送禁止歌」
森達也
知恵の森文庫


  1999年のある日、深夜に放送されたドキュメンタリー番組「放送禁止歌〜唄っているのは誰? 規制するのは誰?」。この番組のディレクターは、まだ「A」「A2」などを制作する前の、一般にはほとんど知られていなかった頃の森達也だ。
そもそもは、放送禁止歌を通してメディアのタブーを考察しようというテーマのもと番組制作が始められるのだが、取材を進めるうち、歌詞が過激などの理由で「放映してはいけない」とされている歌は、法律や規則で禁止されているのではなく、メディアにたずさわる人間の事なかれ主義からくる自主規制にすぎず、それが長く続くことによって、あたかも定められたルールのように横行しているだけなのだという予想外の事実に突き当たる。
この事実にショックを受け、改めて内容を吟味した森は、周囲のテレビ関係者の反対を押し切って、番組の最後で放送禁止歌のもっとも象徴的な、岡林信康の一曲を流す。この行為は、その後、あくまで率直に正面から対象へ向きあうことによって、タブーを無化していく森の手法が確立されるきっかけになったのだと思う。
その歌、その歌詞に込められた思いや背景を考える発想も議論もないままに、噂や思いこみだけで封じられてきた数々の歌。封じられてきたのは、歌だけでなく、差別について考える態度そのものなのだろう。
「一九六一年冬
「風流夢譚」事件」

京谷秀夫 
平凡社ライブラリー


  「風流夢譚」事件。それは、天皇が処刑される場面がある、深沢七郎のこの小説が雑誌「中央公論」に載ったあと、右翼の少年が中央公論社社長の自宅へ乗り込み、社長夫人と家政婦の女性を刺したという事件。中央公論社は、このあと謝罪を表明した。何の責任もない人が命をおとしたという事実は人々にショックを与え、また、メディアが暴力に屈服した忌まわしい出来事として、記憶されることになるのだった。
この本の著者は、当時の編集部員。しかし、やはりすべてが明らかになっているわけではなく、この事件の闇が、いかに深いかを暗示している。
ちなみに、深沢の「風流夢譚」は、図書館で「中央公論」誌に当たれば読むことができる(なぜか、この号だけ欠号になっている図書館も多いという噂も聞くけれど)。滑稽さのなかに、諷刺の毒が鋭くきいており、純粋に一篇の小説としてとても面白く、質の高い作品だということがすぐにわかる。事件ばかりがクローズアップされて、作品そのものの評価が消されがちなのも、不幸なことだと言えるだろう。
「「超」言葉狩り宣言」
すが秀実 
太田出版


  筒井康隆の「無人警察」。この小説中のてんかんに対する表現に関して、てんかん協会からクレームがつき、それが「表現の自由」に関する議論となり、とうとう筒井が「断筆宣言」をする、という事態へ発展した。
この本は、この出来事から間もなく出版されたもので、「差別表現もまた表現の自由だ」という当時の風潮への反発が出発点であると、著者は言っている。そして、文壇内部から部落解放運動に視野を広げつつ、日本における「差別論」の歴史を検証して行く。その軸となるのは、著者と金井美恵子との対談、そして、「水平運動史研究」の著者、キムチョンミとの対談。
出版だけでなく、テレビやネットでも、こうした問題が起きるたびに、「表現の自由」という言葉が取りざたされる。けれど、この言葉を注意深く使わないことには、表現者自身が、表現から自由を奪うことになるのだ。
「危ない写真集246」
飯沢耕太郎 
ステュディオ・パラボリカ


  写真評論家の飯沢耕太郎所蔵の写真集のコレクション。キーワードは、「危ない」なのであるが、「危ない」という形容詞は、本当にふさわしいのかちょっと考えてしまう。ここに集められた写真集は、SM写真、医学写真、死体写真など、過激な性や暴力、死などをテーマにしたものばかりで、見ることに緊張を強いるという意味では「危ない」のだけれど、ふだん目にするものを見たい、見てはいけないものを見たい、という欲望をそのまま形にしているという点では、倒錯や異端というよりは、写真の本道をいっているような気もする。
「はせがわくんきらいや」
長谷川集平 
ブッキング


  体が弱くて、ぐずで、泣き虫で、いつもみんなの足手まといになる長谷川くん。そんな長谷川くんが大きらいと言い切る、この絵本が与えた衝撃は、どんなだったろうか? 長谷川くんが弱いのは、「森永砒素ミルク事件」の被害者だからだ。毒の入った粉ミルクという、いかにも禍々しい事件が、絵本に登場することも衝撃的だ。事件のことも、長谷川くんのことも、正面から見つめるのはちょっと怖いことだけど、その向こう側には、さわやかな風が吹いている。
最後のページ、「長谷川くんなんかきらいや。だあいきらい」と言いながら、泣きべそかく長谷川くんをおぶって歩くぼくがいる。きらいだけど、しょうがないから、しっかりおぶって歩いている。「きらいや」という潔い否定こそが、肯定へと導いてくれたのである。
1976年刊の作品が、2003年にブッキングから復刊された。
「四畳半襖の下張・裁判」
野坂昭如
面白半分


  雑誌「面白半分」は、小説家が交代で編集長を務める形式だったのだが、野坂昭如が編集長だったときに、永井荷風の「四畳半襖の下張」を掲載したことで、これが猥褻だとして起訴された。1972年のことである。
この裁判には、前任の編集長吉行淳之介はじめ、五木寛之、丸谷才一、開高健、井上ひさしなど、人気作家たちが次々と商人として出廷し自らの文学論やことば観や性に対する考え方を述べ、一大文学イベントとして、当時世間の注目を集めたのだった。問題の「四畳半襖の下張」が廷内で朗読されたり(荷風もお墓でびっくりしたに違いない)、小説家たちの巧みなしゃべりに裁判官や検察官も思わず笑い出すなど、珍妙な場面が山盛りの、とにかくエンタテイメントとしては最上の裁判だったらしい。
この本は、裁判と同時進行で雑誌に発表された顛末記や、野坂と小説家たちの対談などで構成されている。起訴から判決まで4年かかっており、野坂は冷静に楽しみながらも、一般の通念が通用しない法律世界のシステムや手続きに、かなり消耗している様子も窺える。
この手の裁判は、「チャタレイ夫人」とかもあるけれど、文学を法律で取り締まろうとすると、どんな奇妙なことが起きるか、この本でよくわかる。