
 |
|
「ブックストア ニューヨークで最も愛された書店」
リン・ティルマン 宮家あゆみ/訳
晶文社
ニューヨークに1978年から約20年間「ブックス・アンド・カンパニー」という書店があって、アッパーイーストサイドという場所がら地元の人だけでなくニューヨーク在住の作家や文化人たちに愛されたという。店の名物は古今東西の名作小説が収められた「ザ・ウォール」と呼ばれる大きな書棚。
この本は店主のジャネット・ワトソンの語りを中心に、書店の関係者やお客さんの証言を織り交ぜて、開店から閉店まで日々を再現している。でも、最初にポール・オースターの言葉があって、序文をウディ・アレンが書いている、というだけですでに、この店の特色がわかる。
この店を開く前、ジャネットはどこかの書店のやりて書店員だったわけでも、出版関係の仕事をしていたわけでもない。学生結婚をし数年で離婚したあと、かねてからの夢を実現させ、まったくの素人でありながら自分の理想の本屋を作ろうとしたのだった。彼女が夢見たのは人々が集うサロン的な本屋であり、それは、子どものころから本の虫だったなかで育んできた本への愛情の具現化だったのだ。お金と物のやり取りではなく、また、読者が新しい世界と出合うだけでなく、この書店は、出版社が自らの志を再確認し、作家が真の作家となる……そういう役目も果たした。本というのはたんなるモノでもなくシンボルでもなく、人と人をつなぐ媒介物であり、人に新しい人生を与え得るものだという、ジャネットの本にたいするイメージには共感する。
ニューヨークのこんなステキな本屋でさえ赤字経営に苦しんだ挙げ句閉店するのだから、「理想の本屋」を実現するなんてどんなに難しいことかと思う。でも、この本を読み終えて心に残るのは、そのような厳しい現実よりも、やはり、活気のあったころの店の描写だ。カポーティーやヴォネガットがふらりと訪れ、有名作家が朗読会をする。書店という空間でスーザン・ソンタグが「火山に恋して」を朗読する場面なんて、想像するだけでうっとりしてしまうのだ。
|
 |
 |
|
「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」
シルヴィア・ビーチ 中山未喜/訳
河出書房新社
伝説の書店という呼び名は、きっとこのシェイクスピア・アンド・カンパニイ書店がいちばんふさわしいのだろう。
1917年、パリにやって来たアメリカ女性シルヴィア・ビーチが、アドリエンヌ・モリエというフランス人女性の協力を得て開いたのが、この「シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店」。1920年代のパリと言えばぱっと頭に浮かぶような作家たち、ジッド、ヴァレリー、エズラ・パウンド、フィッツジェラルド、ヘミングウェイ、ガートルード・スタインなどがみんな、この本には登場する。後半はオデオン通りに引っ越したこの小さな書店は、正真正銘、まさに文学者サロンだったのだ。
シルヴィア・ビーチという女性は、文学にたいしてかなりはっきりした考えや好みを持っていたようだ。それが作家たちの信頼を集めた大きな理由だろう。そんな彼女の志を表す最たる例が、ジョイスの「ユリシーズ」の出版だ。まだ無名の作家によるこの実験的な小説を世に送り出すことは周囲の人にも反対された大冒険であったが、「ユリシーズ」の文学史的な位置を考えれば、この書店の存在の大きさがわかる。
シルヴィア・ビーチが当時を振り返っていきいきと語るこの本を読んでいると、書店というのものは本来、ただ出来上がった本を売るのではなく、画家と画廊の関係にちょっと似たような、作家を支える編集者やパトロンのような存在であるべきなのかもしれないと思える。しかし、このような書店が「20年代パリ」以外の場所でも成立したかと考えると、かなり難しいと言わざるを得ないだろう。シェイクスピア・アンド・カンパニイ書店でさえも、一時は、経済的危機に陥り、出入りしていた作家や研究者たちの手助けでようやくしのいだのだ。
「文化(culture)」の語源は「耕す(cultivate)」というが、これを作り出し維持し続けることは、まさに荒れ地に鋤を差し込んでいくようなものなのかもしれない。多くの人によって支えられたこの書店が結局閉じざるを得なくなったのが、ドイツ軍による占領だったことも、ある意味象徴的である。
|
 |
 |
|
「オデオン通り」
アドリエンヌ・モニエ 岩崎力/訳
河出書房新社
1915年から30年にわたって、パリのオデオン通りで貸本屋兼書店を営んでいた女性の本が書いた文章をまとめたもの。モニエは、シルヴィア・ビーチのシェイクスピア・アンドカンパニイ書店の成功にも尽力していて、訳者もあとがきで指摘している通り「シェイクスピア・アンドカンパニイ書店」と一緒に読まれるべき本だと言える。
書店に顔を出した作家たちの、そうそうたる顔ぶれはもちろんのこと。特に興味深いのは、アンドレ・ブルトンと出会って、そのあと喧嘩するあたりなのだが、それも含めて時代の持つ熱のようなものが感じとれる。うらやましい。
いくつかのエッセイをまとめたものなので、背景を知らないと読みにくいところはあるけれど、若い才能を見出し、彼らの精神を刺激し育てていく場としての書店(もちろん出版社も兼ねていた)の存在は、やはり驚きと憧れをもたらしてくれる。もちろん、すべては主人であるアドリエンヌ・モニエの力量と個性があってのことなのだが、今の日本での本の流通に課せられている負荷を考えて、ちょっとためいきが出てしまう。
|
 |
 |
|
「コルシア書店の仲間たち」
須賀敦子
文春文庫
ミラノのコルシア・デイ・セルヴィ書店は、いまはもうこの世に存在しないから、私たちは決して訪ねることはできない。でも、その雰囲気を懐かしく思い出し、そこに集う人々の気配を感じることができる。なんと不思議なことだろう。すべては、須賀敦子の書いた、この一冊の本のおかげである。
教会の一画にあったこの小さな書店のパトロンであった女性の話から、この本は始まるが、このような形で存在している書店の存在に、まず私たちは興味を引かれる。その教会は、いわゆるカトリック左派に属しており、コルシア書店は、思想を同じくする者たちのサロンであった。いや、サロンというよりは、もっと中心的でシンボリックで、彼らの思想の核となるような存在だったのかもしれない。彼らがそれぞれに、ひとつの理想郷を書店に見るようになる。
コルシア・デイ・セルヴィ書店をめぐって、私たちは、
ともすると
それを自分たちが求めている世界そのものであるかのように、
あれこれと理想を思い描いた。
そのことについては、書店をはじめたダヴィデも、
彼をとりまいていた仲間たちも、ほぼおなじだったと思う。
それぞれの心のなかにある書店が微妙に違っているのを、
若い私たちは無視して、いちずに前進しようとした。
留学生だった須賀敦子は、ある神父の紹介でこの書店を知り、やがて店を取り仕切っていたペッピーノと結婚し、そして、わずか5年ののちに病によって夫を失うのだが、その前後に出会った個性豊かな人々のことが語られる。須賀敦子がこの本を書いたのは、30年経ってからのことだった。時間も距離も遠く隔たった場所から、「仲間たち」と深い親しみをこめて呼ぶ、その理由が本のすみずみから伝わってくる。
|
 |
 |
|
「東西書肆街考」
脇村義太郎
岩波新書
毎日本を読んでいても、本の源流を思い浮かべることなどめったにない。貧困な知識でイメージできるのはグーテンベルクの聖書くらいで、それは、確かに本が誕生のシンボルに違いないのだけれど、博物館で眠る化石のような存在感だ。
この本は、タイトルの通り、神田と京都というふたつの本の町について書かれているのだけど、ここには、生きた本の気配がある。
京都五山が中心となって刊行していた仏教書、学問や文化に興味を持っていた徳川家康が熱心におこなったという出版活動、中国や朝鮮からもたらされた活版本などのことが本の最初から語られる。この本の著者は愛書家でもある経済学者とあって、学者らしい客観性のある、かっちりした調子の文章なのだけれど、でも、決して退屈ではないのだ。それは、本が人の精神活動や経済活動と密着して語られるからだと思う。
元禄期の出版ブームとか、明治初期、神田にあった学生相手の貸本屋とか、円本ブームとか、敗戦直後に目ざとい版元によって作られた『日米会話手帳』など、例を挙げたらキリがないけれど、人の手から手へと渡ってゆく動く本の姿を想像するとわくわくする。本というのは、四角四面、融通のきかない堅物のような顔を持っているけれど(実際、そういう側面もあるけれど)、中味のほうは、人の心や時代の色を反映しながら自在に形を変えていく軟体動物のように、私には思える。
|
 |
 |
|
「本の国の王様」
リチャード・ブース 東眞理子/訳
創元社
ヘイ・オン・ワイは、イギリスはウェールズにある小さな町だ。かつては栄えた町だったが、1960年代から急速にさびれた。人口も減り、パブも減った。ここで、ある青年がちょっと怪しげな古書店兼骨董屋を開いたのが、すべての始まりだった。この町には本を読む人なんて誰もいないよ、と周囲から言われたスタートだった。青年の名はリチャード・ブース。
ロンドンの伝統ある古書店などにはとても対抗できないとわかっていた彼は、とにかく数で勝負しようと、本を買いあさった。集められた厖大な本が評判を呼び、本は雪だるま式というかねずみ算式というか、とにかくどんどん増えていった。そこでリチャード・ブースは崩れかけた古い城を買って、古書店に仕立てた。それはやがて、観光客を呼び寄せ、この平凡な町、ヘイ・オン・ワイは「古書の町」として世界中に名を知られるようになる。
この本は、本をめぐる楽しくて痛快なエピソードであふれるリチャード・ブースの自伝だ。たとえば、店を開いたとき、彼は家の雑役夫だったフランクに本棚を作ってくれるよう頼んだ。フランクはアル中で世間のはみだし者だったが物知りで、リチャードにとっては魅力的な人物だったのだ。本には、金槌を手にしたフランクのポートレイトが載っているのだが、そこには「フランク・イングリッシュ。生涯で延べ40kmに及ぶ本棚を作った」とあって、思わず笑ってしまう。
大富豪や蒐集家はもちろん、つぶれた出版社や閉鎖になる図書館、あるいは古紙回収業者に至るまで、本の仕入れ先はさまざま。その買い取りぶりは、何万冊、何十万冊単位になることも多く、とにかくスケールが大きい。それは、彼の書籍商としての商才を示すだけでなく、ヨーロッパの本の歴史の深さと厚みを感じさせる。
打ち捨てられた本の山を、莫大な金銭に変えていく彼のやり方は、しばしば、アカデミズムの領域から非難をあびる。しかし、貴重な本を図書館の奥にしまいこみ一冊一冊の価値をかえりみようともしない学者連中を揶揄するリチャード・ブースのやり方は痛快だ。古今東西の無数の本と出会い、そして、お金を払ってでもその本を手に入れたいと願う人に手渡してきた実績が彼の本への愛情を証明する。「ヘイではどんな本も永遠の命を持っている」と、彼は言う。紙くずとして捨てられるはずの本が、そんな彼のもとへ渡ったとしたら、それはどんなに幸福なことかと思う。
そう、どんな崇高な精神の記された本でも、読む者の手に届かなければ、真の価値は発揮しない。そう考えると、本屋とは、一瞬の出会いを生み出す魔法の空間のように思えてくる。
|
 |
 |
|
「七つの屋根の下で ある絵本作りの人生」
ベッティーナ・ヒューリマン 宇沢浩子/訳
日本エディタースクール出版部
スイスのアトランティス社で長年絵本の編集に務めた女性の回想録。著者のヒューリマンは1909年生まれなのだが、彼女が仕事を始めた頃にはまだ、子ども向けの絵本にたいする認識も確立していなかった。今では考えられないことだけれど、彼女がグリムやアリスの初版本などをコレクションし始めたときも、周囲の人の多くは理解を示さなかったという。彼女は、いわばこの方面でのパイオニアのひとりなのだ。
両親とも本屋であり、版元でもあるという恵まれた環境のもと、幼い少女が本に出会っていく過程の描写には印象深い箇所がたくさんある。たとえば、父の本屋で嗅いだ本の匂い。本の匂いは自分の人生の一部になった、と言っているけれど、新しい本に出会うたびに、そっと鼻を近づけて紙やインクの匂い(きっと、今、私が手にするような本とは似ても似つかない匂いがすることだろう!)を確かめる仕草が、目に浮かぶような気がする。
しかし私にとって一番興味深かったのは、ヒューリマンが植字工として仕事を始めてから、出版を志すまでの部分だ。生まれと育ちがドイツだったから、学校を卒業すると職業訓練学校に進むのだけれど、彼女は(深い考えもなく)女の子としては珍しく植字の勉強を始めるのだ。時代は近代活版の台頭期で、時代の興奮が伝わってくる。
本の終わりのほう、ヒューリマンの近年の活動を記した箇所は、60年代の終わりに日本を旅行したことが出てきて、福音館書店を作る前の松居直や石井桃子、中谷三千代、瀬川康男などの名前も出てきて、何だか嬉しくなってくる。
|
|