本 の 港 へ


 自分の歩く姿や立つ姿を自分で意識することは時々あるのだが、「本を読んでいる自分」の姿を思い浮かべることができない。われに返ってそのような自分を意識する瞬間にはもう、私は本を読むことをやめているからだ。
「本を読んでいる自分」というのは多分、あくびをしている時のように呆けているか、泣いている時のように野蛮か、ものを食べている時のように恥ずかしげがないに違いない、と思う。いずれにせよ知的な雰囲気からはほど遠い。
 そこで私はとりあえず、本の細部への愛情を表明することによって、本に報いたいと企てる。手にしたときの重みの正しさや、めくる指の動きに素直にしたがうページの柔らかさや、紙の白さと活字の黒さの作用と反作用、それから、はなぎれの色やカバーの折れ具合、かすかなインキの匂いや奥付のたたずまいや、そんなものひとつひとつを確かめる。そういう時の私は、はがねのように冷静だ。
 私は人が本を読む姿を見るのが好きだ。行を追うごとに跳ね上がるまつげの動きを見ていると、ことばがその人の胸にしみこんでいく時の湿った音が聞こえるような気がしてくる。ことばに打ちのめされる快感を思って、思わず目を閉じてしまう。皮膚一枚の近さまで、本に立ち向かってゆこうと、そんな勇気さえ湧いてくる。


「港のひと」第1号
(発行 港の人 http://www.minatonohito.jp/
2001.5.10