
見 知 ら ぬ 本 た ち へ


いつもにこやかに人をうけいれながら、たくみに仕事を進めていく知り合いの編集者が、結婚するとき奥さんに「ほかに注文は何にもないから、ただひとつ、ぼくの本には一切手を触れないことを約束してほしい」と言ったという話を聞いたとき小さなひっかかりを感じた。穏やかな笑顔のよく似合う彼に、そんな神経質な言葉が似合わないからという理由だけではない。新しい本を作って世に出すことを職業にし、それが少しでも多くの人の手に渡ることに日々腐心している人が、その住まいに、誰にも触れさせない一群の書物を隠し持っているというそのことが、かすかな矛盾として感じられたのだと思う。美術に造詣の深いあの人のことだから、どんなにか珍しい本や豪華な画集がそろっていることだろう。陽の射さない暗い部屋で静かに眠るたくさんの本たちを想像した。彼の息子たちは、もうすっかり大きくなってそれぞれの仕事に就いていると聞くが、本たちは、今もあの部屋で彼だけの愛を受けているのだろうか。
今年のお正月に、デパートの古本市をのぞいたときのこと。年季の入った蒐集家然とした男性たちにまじって遠慮がちに棚を眺めていたら、どこからか「『痴人の愛』はありますか」と会場中に響くような声があがった。思わず赤面してうつむいてしまったのは、私ひとりだったろう。そこで話題にされていたのは、谷崎の本の(おそらく初版の)市場価値だ。それが主人公と同じ年代の男性の声だったからと言って、あらぬ連想を働かせるこちらのほうがおかしいのはわかっている。でも、あの小説に描かれていた愛や性なんかとまったく無関係に、その題名が口にされるというのはちょっと不思議な体験だった。あの人は、もう、愛を、痴人の愛を手に入れたのだろうか。
人の手から人の手へと渡る本がある。静かに眠る本がある。生まれたばかりの本もあれば、崩れそうな体を必死に支えている本もある。もう消え去ってしまった本もある。千差万別の人とともにいる、千差万別の本がある。私の前に現れる本はごく一部だ。けれども、見ることも触れることもない無数の本の存在を、いつも感じている。いまもどこかで、人の気配を感じながら静かにそっと微笑む本がいるのを、私は知っている。
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